残念な卒論 1

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 「先輩ちょっと聞いてもいいですか? 私みなさんがどう思って読んでるのかすごく知りたいんです……私ってどうしても登場人物の誰かが好き!ってなるとその人のことばっかり考えちゃって。お話の筋が分かんなくなっちゃう、って言ったら言い過ぎですけど、どうでもよくなっちゃう、みたいな? 全然気持ちとか描写されていないのに、ああこの子はいま悲しいんだな、とか、きっと裏ではすごい怒ってるんだとか、何ていうんですか、妄想が膨らんじゃうんですよ。あっ、ひょっとして私変態みたいで気持ち悪くないですか? すみません。でもそれって文学研究にとっては良くないことですよね、書かれていないのに勝手に妄想を付け足しちゃうんだから、厳密な論文にするなんてできないじゃないですか。あーもうどうしよう! もう一個お菓子食べようかな。これ美味しいんですよね。そう思いません?」
 先輩と呼ばれて事務机から目を上げて聞いていた博士課程の曽根原美里は、結局話がお菓子の話になってしまったので途方に暮れていた。
 大槻京華は机の中央にある、高級和菓子の空き箱(いつから置いてあるのか分からないが、とにかく風格のある四角い木箱であり、現代的な机や書類立ての中であまり馴染んでいないように見えた)のふたを開けると、容器に見合わないブルボンの安い個包装のお菓子の中から、一口サイズのバウムクーヘンを取出して予習中の中高ドイツ語テキストの上に置き、山辺良介にも同じものを勧めた。彼は気がない曖昧な返事をして受け取ったが、大槻京華はそれで満足したらしく、楽しそうに丁寧に箱を閉め直した。
 彼女は四十人いる学部四年生の中で唯一ここの大学院を受けることを公言しており、先輩たちに顔と名前を覚えられている数少ない学部生の一人である。彼女も先達にアドバイスをもらおうと、論文の書き方や学振や留学のことを細かく熱心に聞き出そうとしていたが、その聞き方がいつも何か突拍子もない感じを伴っていたので、周りは親切に教えながらも彼女の独特さにいささか面食らうのであった。くるぶしまであるゆったりしたロングスカートを身に着けており、動作のひとつひとつは実際そうでもないのに小柄な女性のそれを思わせた。愛嬌はあるがそれが人に向けられておらず、自分では人間に興味があると口癖のように言っているが人の目線にも無関心で、いつも話題が自己完結して一人で大はしゃぎしている。他の就活中の女子グループには距離を置かれていたが、本人は全員と仲の良い友達であると無邪気に信じこんでいた。
 曽根原美里はテンションの高い後輩に対し、表情では戸惑いながらも特有の冷静な一本調子と、誰に対しても公平なですます調でもって訊いた。「それで、質問は何ですか」
 「あっすいません。あれ何だっけ、忘れちゃいました。何か先輩にお聞きしたかったんですけど」大槻京華はお菓子を飲みこむと、全然別のことを思いついて続けた。「そうだ先輩、ニーベルンゲンの歌でどのキャラが一番好きですか?」
 「特に誰が好きかと言われますと難しいですね。特定の登場人物に注目するという読み方はしていなかったです。それぞれの人物についての伝説がどのように組み合わせられていったかという成立過程については色々研究があるようですが。専門ではないのでどうも」
 「そうなんですよね。ブルグント写本? ですっけ? 私も全然勉強不足で超恥ずかしいんですけど。先輩やっぱりさすがです、ご専門と全然違う時代のことでもやっぱり知っていらっしゃるんですね。私なんかがほんとに進学して大丈夫かな、なんだか畏れ多いです! (ここでにこやかに両手を合わせる動作)先輩の研究していらっしゃるゲオルゲもずっと読みたい読みたいと思ってるんですけど、いつも怠けちゃって。あとやっぱり、詩とか難しくて全然わかんなかったらどうしようと思って気おくれしちゃうんです。ましてや詩を研究するなんてほんとに、未知の世界って感じ」
 山辺良介はどんどん話が逸れてゆく大槻京華のようすを横目で見ていた。彼には分からない本や詩人の話がされていたので、この同級生の女が自分の知識をわざと謙遜しているように思え、勝手にむっとしていた。「文学好きを名乗る人たちの会話はいつもこうだ。いくつかの固有名詞だけで上滑りしてしまって作品の内容に全然触れない。するのは読んだ本と読みたい本の話題だけじゃないか。読むことが自己目的化している。まったく空疎だ」このようなことを思いながら彼は意地になって本を読むふりを続けた。
 「さっきも、岡野先生と卒論の面談してきたんですけど、今更だけどやっぱり、私の研究って薄っぺらいなあっていうか、根拠が薄弱っていうか、思いつきっていうか、とにかくなってないぞって危機感を覚えたんですよ。あっでも先生がそうおっしゃられたわけじゃないんですよ。先生は――あれっ、《教授》って言わないといけないのかな、まあいいや! 先生はいつも通りほんと優しくって、いつも通り首を傾けてニコニコしながら、面白い観点だねって褒めてくださって、でも足りてないところを的確に指摘されて。いいなあ岡野先生、ますます好きになっちゃいました。ほんと、お父さんになってほしい! それは無理か。でも本当にご家庭でも素敵なお父さんなんだろうなって。小さい娘さんがおられるんでしたよね、お会いしたいなあ。あれ、何の話でしたっけ……そうだ、ニーベルンゲンだ。それでですね、私卒論で書こうと思ってるのが、ハゲネの心理描写について書こうと思ってるんですよ――書こうと思ってるって二回言っちゃいましたね、恥ずかしい。あの、冗談だと思って聞いてくださいね。私、ハゲネはクリームヒルトが好きだったんだと思うんです」
 大槻京華は眼を爛々と輝かせて話し続けた。
 「もちろんハゲネにとってみればクリームヒルトは、自らの仕える国王グンテルの妻プリュンヒルトを公衆の面前で侮辱したひどい人ということになります。あんたなんか私の夫の妾にすぎないのよ、なんて言っちゃうんですから。でも何というか、それから後のハゲネの復讐の仕方が、不思議なんですよね。彼の復讐って、結局はプリュンヒルトの雪辱を晴らすためということになるんですけど、彼からしてみればクリームヒルトのほうが幼いころから自分が仕えてきた仲なわけじゃないですか。主君への忠誠という点では正しい側に付いていることになるんですけど、ぜったい心の中ではクリームヒルトの気持ちもよく分かってると思うんですよ。新参者で何かお高くとまってる感じの元女戦士のプリュンヒルトに対して酷いことを言っちゃうようなリーちゃんの性格だって彼はよく知っているはずなんです(あっ、リーちゃんっていうのは私が勝手につけた愛称なんですけどね)。私思うんですけど、ハゲネは最後までリーちゃんのことは憎んでないんです。自分が彼女に殺される間際になってもです。たしかにジーフリートを殺した時には結構キツイことも言いますよ。『このことが彼女に知れたからといって、かまうものか。彼女はプリュンヒルト様の御心を曇らせたのだから。どんなに彼女が泣き悲しんでも、俺は何とも思わんぞ。』でも何かこれって、ツンデレっぽくないですか? 罪悪感を隠そうとしている感じがすごいしませんか? そのちょっと後でグンテルがリーちゃんに会う時にも自分は行こうとしないんですよ、リーちゃんが自分のせいで悲しんでる姿を見たくないからって。でもそれだったらそもそもジーフリートを何も殺す必要だってなかったはずなんですよ、周りの家臣たちはみんなもっと穏便に済まそうとするのに、ハゲネだけジーフリートへの怒りがすごい。その動機がなんだか不明な感じがするじゃないですか。だから私、やっぱりハゲネはジーフリートに嫉妬してたんじゃないかなって思うんです。自分と同じような臣下の立場に一度は身を置きながら、自分が大切にしてきたお姫様をぬけぬけとゲットした男への嫉妬っていうか? やっぱりハゲネはツンデレかつヤンデレなんですよ! 職務に忠実なフリして実は強がりで素直じゃない人みたいな、そういうのホント好きだーって思っちゃいます。後篇はジーフリートもプリュンヒルトもいなくなっちゃいますし、実質的にハゲネとリーちゃんの愛憎劇といってもいいんじゃないかな。私初めてニーベルンゲンを読んだときから、この勝手な裏設定みたいなのが頭に染み付いちゃって、それで卒論もそのことを書こう! ってずっと決めてたんです。でもいざ書こうとすると、いかに自分の妄想を実証するのが難しいかっていうか、もう無理じゃん、っていうか。まず序文で何をどうやって書けばいいかから詰まっちゃって。それで岡野先生に泣きついたんですけど、『最初からじゃなくても、書きやすいところから書けばいいんだよ。序文は最後でもいい』っておっしゃられて。でも私そんな器用な書き方できるかなあ、長い文章書くのなんて高校の卒業文集以来かも! そういえば私卒業文集のとき十ページくらいの小説なんか書いちゃって、もうすでに黒歴史って感じなんですけど――」
 白いドアが勢いよく開き、場違いにレトロな鈴がチリンチリンと鳴ったので大槻京華の黒歴史の話は遮られることになった。入ってきたのは梅田一馬という金髪に青いベストを着た細身で色白の男である。何も喋っていないときには高慢で気難しそうな表情をしているが、口を開くとフランクな関西弁のせいでお人良しな顔つきに変貌したように見える。山辺良介は見た目のいけ好かなさから当初は彼を敬遠していたものの最近では口をきくようになっていた。梅田一馬はやれやれといった口調で「あー終わった終わった」とこぼしながら山辺良介の隣の椅子に新品の就活カバンをどかっと置き、卒論のレジュメを仕舞い込みながら彼に声をかけた。「新村教授やけど、ちいとばかし休憩するさかい、つぎ十五分くらいしたら来て言うとったで」
 「わかった。面談どうだった?」
 「どないもこないもあらへんわ。書きさしの序論持っていったら『ええよええよ、この調子で書きや』てな感じで。まあユルいんのは楽でええけどな。良介何読んどるん?」
 「これ? カフカの『城』ってやつ。まだ読み始めたばっかだけど」
 「何やようわからんけど分厚いもん読んどるなあ。卒論それでやる言うたらウチやったら書き出す前にへばってまうわ」
 「いや、書くのは『変身』のほうにしようと思ってる。でも一応他の作品も読んどかないとなと思って」
 「えらい真面目やなあ。ウチもゲーテやるから言うて一冊借りてきたけど、よう見たら全部で六冊もあるん気づいてもうて、あかんこれってなったわ。漫画やったら六冊くらい余裕なのにな」
 「えっ、梅田くんもう序論書いたの? すごい」大槻京華がワンテンポ遅れて話に入ってきた。「どんな感じで書いたの? 見せてほしい!」
 「おおきに。恥ずかしいから見せとうないわ。京華ちゃんなら全然書けるやろ、文学少女ほんま格好いいと思うで。頑張ってや……ああ美里さん、コーヒーの水入れてきましょうか? いえいえ、忙しいでしょうから座っといてください」曽根原美里が空になったドリップコーヒーの機械を開けているのに気付いて彼は言った。めったに来ない研究室で(大槻京華のような人を除き、学部生は面談の待ち時間くらいしか部屋に来ることはない)ほとんど話したこともない先輩にうまく気を使える梅田一馬の後姿を見ていた山辺良介は、こいつが就活強者なのも肯ける、どうせもう内定を何社も持ってるんだろう、くそっ、などと取りとめもないやっかみを抱いていた。
 「山辺くんはカフカなんだね。いいよねー『変身』、私読むたんびに泣いちゃうもん」大槻京華が向き直って話しかける。
 「そんな泣くような話だっけ」
 「泣いちゃうよー。ザムザがほんとかわいそうで。妹を音楽学校に通わせたいから頑張って社畜してたら、ある日突然虫になっちゃうんだよ。それであんなに働いてたのに家族にも酷い扱いされて、妹だけが優しいから食べ物とか出してくれるけど、ザムザは腐ったものばっかり美味しいと思うようになっちゃって。それでだんだんグレーテも大好きなお兄ちゃんに対してじゃなくて、虫を相手にしてるんだって気持ちになってきて、ザムザが死んじゃったあとには家族でお出かけして、みんなほっとした感じで……グレーテはすっかりお年頃になって、両親がそろそろいいお婿さんを見つけなきゃって思うところで終わるんだよね。なんかすごい皮肉っていうか、悲しくない? もう思い出しただけで泣きそう」大槻京華は本当に泣きそうな顔をしてみせたが、楽しくてたまらないという顔のほうが勝っていた。
 「僕は違うと思うな」山辺良介は独り言のときには《おれ》と言い他人と話すときは《僕》と言う癖があったのだがそれはともかくとして、彼のこの否定の仕方からは、大槻京華があらすじを勝手につらつら説明したのでお株を取られて気を害している様子が明らかに見て取れた(もちろん大槻京華はそんな事には気が付かないためこれは全く問題にならなかった)。「カフカは家庭の悲劇を描こうとしたんじゃなくて、現代社会を批判したんだと思う」
 「あーそうかも。虫っていうのが、現代社会で病んじゃったサラリーマンの比喩みたいな感じ? 面白そう!」大槻京華はまた議論を先取りしてしまうのだった。「ダメなんだよね私、何でもお話をそのまんま読んじゃうから、社会とか歴史的背景とか読み取らないといけないってなるとすっごい苦手で。虫が出てきたら、あ、虫なんだな~って思っちゃうくらい単純だから、なんか暗喩とか考えようとしてもありきたりなことしか思いつかないし、つまりセンスがないっていうか? やだ私、また自分の話ばっかりしてる。じゃあさ、山辺くんは序文で、当時の社会的状況とかを説明する感じになるの?」
 「うんまあ、そんな感じ」山辺良介はこのとき手元に面談用のレジュメと、試しに書いた序文を持っていたのである。面談の段階で一文字も書いていないというのも体裁が悪いだろうと思って前日に急いで仕上げた、半ページにも満たないものだ。もちろん大槻京華の興味の網に捕らわれたら面倒なので彼は言わずにいた。それに、当時の社会的状況のことをちゃんと踏まえて書けているという自信も彼にはなかった――「文学少女」である彼女に対しての劣等意識もあったかもしれない。この女、楽しそうにぺらぺら喋りながら厄介な質問をしてきやがって。おれをからかっているのか? いや、多分からかっているのではなく、本当に文学の話が好きでやっているのだろうな、だからなおさらタチが悪い。これが大学院に進学する人、研究者になる人というものなのだろうか。だとしたらおれの卒業研究はいったい――えい、かまうものか、あんな社会不適合者の言うことなんか。
 山辺良介が色々考えている間に私たちは、今から彼が教授に見せることになっている序文草稿とレジュメをこっそり見てみることにしよう。

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 残念な卒論
 Elende Bachelorarbeit — Eine Erzählung

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 高速道路はひどい渋滞であった。車がちっとも先に進めないでいるうちに、もう空が明るくなってきてしまった。背後からにじむように曇り空に広がっていく、ぼんやりした光で山辺良介は目を覚ました。エンジンの絶え間ない低音と振動のせいで、何の夢も見ていなかったし、それどころか今まで本当に眠っていたのかどうかもはっきりとしなかった。
 カーラジオは各地のUターンラッシュを告げていたが、運転席の父親はそれを聞いているというよりは、他のチャンネルに変える欲求を特別感じていないだけであった。家族の他の者にとってもそれはただの環境音になっている。助手席の母は数時間前まで、父の運転が下手なことや、列が動いているのに前の車両が詰めようとしないことなどに逐一論難を加えていたのが、いつの間にか眠りについていた。良介の隣にいる兄はといえば、出発してすぐにイヤホンで音楽をかなりの音量で流しはじめ、おまけに首が心配になるほど傾いた格好でいびきをかきはじめたが、今はどちらの音もしなくなっていた。コンビニおにぎりの包みをまとめてあるレジ袋が、助手席と運転席の間に置かれている。
 そういうわけで、良介はこの場においてカーラジオの音が鬱陶しいと今しがた感じはじめた唯一の者であった。その苛立ちは意識されたとたんに脳内にじわじわと広がり、以下のような言葉を獲得した。――まったく、渋滞情報なんておれは聞きたくもない。この先何キロ渋滞しているかを知ったところで早く着けるようになるわけでもないのに。わざわざ人をいらつかせるような情報を、しかも余計にいらつかせるような平板なトーンで繰り返し続けるなんて、どうかしている。この放送はこの退屈きわまる社会をまさに体現している! おれの生活に糧を与えるものはこんなうわべだけの情報ではないのに。おれはもっと深い、文化的な――
どうやら山辺良介はなかなか面倒な不平家であるようだ。ただし彼は以上の言葉を、寝起きの不機嫌な頭の中でかき混ぜていただけであって、例えばラジオを消すように父の背中越しに注文する、などといった図々しさを持ち合わせた人間では決してなかった。結局彼は、心底嫌なはずのラジオにも大人しく耐えるタイプであったし、上記のような愚痴を一通り並べ終えたあとでは、もうそれに慣れはじめてすらいた。その次に湧いてきたのは、手持ちぶさたな気分であった。
 山辺良介は下を向く。彼の両足の間には、ガムテープのほとんど剥がれているみすぼらしい段ボール箱があった。かつて彼は大学生のあいだ、東京の祖父の一軒家に寄宿していたのだが、就職で実家に戻る際に、もはや不要になった大学の教科書やノートやプリントをあらかた詰め込み、引越しの荷物を減らすために押入れに置き去りにしていったのが、この箱である。その祖父が年の暮れに死んだ。葬儀をすませた次の日、空き家になったかつての仮寓に久々に足を踏み入れた良介には、部屋のすべてが記憶の中よりもだだっ広く、寒気がするほどによそよそしいように思われた。家を売り払うかどうかはまだ決まっていないにせよ、それぞれの個人的な荷物は各自で処理するのがよいと思われた。車のトランクは祖父の息子であった父の私物で埋まってしまったから、仕方なくこのはぐれ荷物が現在彼の足下を窮屈にしているという按配であった。
 彼は段ボールを開け、一番上にあったプリントの分厚い束を片手でつかんで取り出した。そのとき車が急に動き出した。束の間から十数枚ほどの紙が滑り落ち、ばらばらに広がった。となりの兄が寝返りを打ち、前よりも一層首をねじ曲げた姿勢になった。
シートベルトで窮屈な体を前屈みにして良介は紙を拾い集めた。長い持続のあとでとつぜん動きや物音が同時に生起したためか、彼の頭の中でなにかスイッチが押されたような感じがした。気持ちがリフレッシュしたというわけではない――そのスイッチはいわば、彼の中のある四角い空間を突如くまなく白く照らして、それまで中に漂っていたはずのガス状のもやもやを見えなくさせ、そこは空っぽであると示してみせるような効果があった。彼は集めたプリントを窓からの薄暗い朝日に照らし、判読しようとした。日本語とドイツ語の混ざった文字列で、日本語の箇所には数行おきに赤鉛筆の書きこみがある。左側についた糊の跡――良介は次第に思い出してきた。残りの紙束の中を探ると、仮綴じ製本の透明なカバーを見つけた。そこに表紙だけがまだかろうじて挟まっていた。彼はそれを読んだ。

 卒業論文
 カフカの『変身』における「引きこもり」と社会の問題

 文学部 欧米文化研究 ドイツ文学科選考過程 学部4年
 山辺良介

 さて、これでようやく本題に入るのだが、その前に読者諸君に問いかけておきたいことがある。大したことではない。皆さん自身のことについてのちょっとしたアンケートのようなものなので、気軽に答えて欲しい。いや、答えてもらわなくてもかまわないから、考えるだけ考えていただくよう切にお願いする――なに? なぜそんなことが必要なのか、はやく先を続けろ、だって? 申し訳ない。お気持ちは良く理解しているつもりだ。しかし読者諸君の満足のためにも、皆さんがこの山辺良介なる全く架空の人物にいわばどれだけ感情移入するかしないか、するとすればその度合いはいかほどのものか、この点をはっきりさせておくことは、筆者にとって重要な問題なのである。つまり、あなたがこの主人公のような状況に置かれたら、どんな気持ちになると考えられるか、というまさにその点について、率直なご意見をお聞かせ願いたいのである。
 状況は簡単だ。およそ三年前にあなたは一本の卒業論文を書いた。(卒論を書いた経験のない人は、代わりに何か過去の仕事を思い浮かべてほしい。できればその仕事は、現在のあなたの地位とは無縁で、自らの人生における別の一時期に属するものであり、当時のあなたがそれに比較的長い時間と労力と意志をかけて取り組んだにもかかわらず、自らの多忙ないし怠惰のせいで、万事を尽くして素晴らしくそれを成し遂げたとは必ずしも言い難いようなもの、一言でいえば、トホホ感のあるものであり、したがって自分がそれをやったということ自体すっかり忘却の彼方に追いやってしまっているようなものであることが望ましい。――何と矛盾に満ちたお願いをしていることだろう! 忘れているものを思い浮かべてくれとは。)
 まあとにかくその論文だか仕事だかを、あなたは三年ぶりに思いもよらないタイミングで発見してしまう。しかもいかなる心の準備もないままに、前述のようなトホホ感の神髄を真っ向から突き付けられてしまうというおまけまでついている。というのも、賢明なる読者はすでにお気づきだろうが、山辺良介の提出した卒論の表紙には誤字があったのだ。彼の指導教授の、やたらと筆圧の強い赤鉛筆の線で、彼のドイツ文学科「選考過程」が無造作に打ち消され、その下に(ちょうど彼の名前の横に)「専攻課程」と大きめの字で訂正されていたのである。
 さて、彼はどうするだろうか? 皆さんがもし彼の立場だったら? その場で破って窓から捨てる――よろしい、そうすれば気も晴れてスッキリするだろうし、私としてもこれ以上話を書き進める必要はない。他には――見なかったことにして表紙を裏返し、そっと段ボールに仕舞いこむ? しかしあなたの先には、ハイウェイラジオが相変わらずひっきりなしに告げている通り、何十キロもの渋滞が続いている。実家に着くまでの二時間か三時間のあいだ、足下に気まずい思い出をしまいこんだままじっとしていられる自信がおありだろうか? やせ我慢するよりもいっそ思い切って中に目を通し、若気の過ちを笑い飛ばしてしまうほうが精神衛生上良いとも言えるのではないか?
 ある人からはこんなご意見があるかもしれない。自分は一般人としての分を弁えているから、論文などといった高尚なことに真面目にかかずらうほど大胆ではない、ただ卒業のために必要なだけの努力はしたし、それで現に卒業できているのだから、その生産物の出来が学術上拙かろうと多少の誤植があろうと、自分の恥になるというほどのものではない。偶然見つけたとしても特に感慨があるわけでなし、ましてや小説になるような出来事でもないだろう。少なくとも、自分は表紙を誤植するようなへまはしていないぞ!――
 別の人からのお便りはこうだ。自分もたしかに拙い卒論を書いた。そして二年後に、それよりはましであるとはいえまだ十分とは言えないような修論を書いた。今書いている博論はもっとましになっていると信じているが、なおけっして満足いくものにはならないだろう。学界に貢献するなんてまだまだおこがましい青二才だ。しかしどの段階も、自らを乗り越えてきた記念碑として私には大事なのだ。だから反省はあれど、気まずい思いなどは少しもない。もし山辺良介なる人物に、論文を真摯に仕上げる学問的熱意が少しでもあったのなら、なぜ彼はそこから逃げ出したのか? 自分から目を背けた相手に再会していたたまれない思いがすると言ったって、それは自業自得ではないか。
 お二人ともごもっともである。要するに、卒業論文にどれだけ思い入れを込めているかは人それぞれで、それが自分のアイデンティティに一ミリも関係ない人もいれば、大いに関係ある人もいる。しかし、これが問題なのだが……山辺良介はそのどちらでもないのだ。たしかに彼には、自分の卒論と自分の人格を結びつけるような理由はない。カフカの『変身』における「引きこもり」と社会の問題? そういえばおれはそんな研究をしたかもしれない。確か、社会に反抗する現代の若者をテーマにこの著名な文学作品を読み解こうというような構想だったな、何を書いたかもう覚えてないけれど――この程度だ。しかし同時に彼の居心地の悪さは、この「もう覚えてない」という否定が、嘘とまでは言わずとも、一種の強がりであることを物語っていた。
 誰か彼の気持ちを上手い比喩でズバリと表現してくれないだろうか? あまり親密にもならないまま疎遠になったかつての知り合いに、大学構内の人混みの中ですれ違って一瞬だけ目が合った時の気分? とっくに返し終わった昔の借金のことをふと思い出して、安心しながらも、なぜかまだ借りがあるように感じてしまう気持ち? 小学校の時クラスで飼っていたメダカがある日死んで、生物係として貯水池に流す役目を負わされたのを、どこかの店で暇つぶしにコケの生えた水槽を眺めながらふいに回顧する時の心情? どれも微妙だしまどろっこしい。とにかく、この冷静さと違和感とが相半ばする状態を、先ほどご登場いただいた二人を含め、読者諸君に果たしてどれだけ追体験していただくことができるのか、これこそが筆者のもっとも気にかかる事柄なのである。
 まあ、これ以上くよくよと思い悩むことはしまい。どうせ筆者でさえ山辺良介の体験を体験したわけではないのだし(語り手と主人公を同一視したり、主人公に語り手の性質が反映されていると見なしたりする読者は、小説とエッセイの区別を復習されることをお勧めする。私は断じてこのフィクションと無関係なのだ!)、したがって彼の心情描写が全くのでたらめであったとしても、彼自身をおいては他に誰も反駁のしようがない。ところがその彼までもが、自分の感じている気持ちをその都度内面に立ち返って検討するなどという面倒な習慣をあまり持たない人間なのである。
 さて彼は、恥ずかしい間違いのある表紙を何食わぬ顔を装ってめくり、一ページ目を読み始めた。……彼はしだいに、そのページと関係がある当時の一場面を思い出す。
 ドイツ文学科の研究室――四十人もいる学部生に比してずいぶんこぢんまりとした、そして不自然なくらい新しくて白い部屋だ。彼は正方形の大きな机の前に座って、黙って本を読むふりをしながら周りの雑談を聞いている。楽しげに話しているのは一人の同級生の女子である……なにやら文学の話をしている……どうしてこんなに楽しげなのだろう?

 →■残念な卒論 1

学園ナイス σ 3

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 ↓漫画を更新しました。

 ■学園ナイス σ 3

2017年賀状

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 今年もよろしくお願いします。

ゾベルニクス 2nd Album

 ゾベルニクス Zobernix
 『精子のついたティッシュ』 PV
 作りました。
 

 ゾベルニクス 2nd Album
 『ちんこまんこうんこ』
 2016.11 Released

 01 死者からの排便
 02 精子のついたティッシュ
 03 雑草のうた
 04 電車の下のヒーターで
 05 肉球が
 06 なぞのCD
 07 録画させろ(Fuckin’ HDD)
 08 ラーメン喰いたい
 09 歌を作ろう
 10 焼け死ね~burst out~
 11 舌かんじゃったの歌
 12 マシンガンソング
 13 お嬢さん
 14 わが母校よ
 15 みょうが
 16 精子のついたティッシュ(アウトロ)
 17 ノルマ
 18 選手宣誓(Do You Feel Alright)
 19 ソープに行きたい

 Total Time : 42:06

 Zombie : Vocal
 satsumaimo : Guitar
 Hikimax : Drums
 Jun : Bass
 Seki : Keyboard

 ■↓Download Now ¥300-

 

 ■ライブをやります。
 Zobernix Live

 2017.2.12 (Sun)
 @ 新宿 Live Freak
 "Have a good Holiday !"
 ¥2,000

 来てくれる方は連絡ください。

Oomph! - Alles aus Liebe [和訳]

 

 Oomph!
 Alles aus Liebe (2015)

 すべては愛ゆえに
 歌詞和訳

 Ich schneid' mir Zeichen in meine Haut
 Und in mein Fleisch brenn' ich ihren Namen
 Leg' mich auf Nägel, auf Feuer und Eis
 Ich tu' mir weh, ich kenne kein Erbarmen

 我が肌に印を刻み
 我が肉体の裡に彼女の名を焼き付ける
 針の筵、炎や氷にも身を横たえ
 我が身を痛めつける、容赦など無く

 Leg' mich in Ketten, in dunkelster Nacht
 In meinem Traum werde ich zum Sklaven
 Ich will mich geißeln, wenn ich sie seh'
 Ich fleh' sie an, mich endlich zu bestrafen

 身を鉄鎖に繋ぎ、宵闇の裡に
 夢の中にて自ら奴隷となる
 わが身を鞭打とう、彼女を見るきわに
 乞い願う、我を終に罰さんことを

 Geh' auf die Knie und dann leide für sie

 跪き、彼女がために苦しむのだ

 Alles aus Liebe zu ihr
 Alles und mehr wird passier'n
 Ich will mich verletzen, will alles wagen
 Grausame Schmerzen werd' ich ertragen
 All das nur aus Liebe zu ihr

 全ては彼女への愛ゆえに
 どんな目にでもなお遭おう
 我が身を傷つけ、何も恐れず
 苛酷な痛みでさえも耐え忍ぶだろう
 全てはただ彼女への愛ゆえに

 Ich zieh' mir Fäden durch meinen Mund
 Ich werde stumm, um Demut zu beweisen
 Reiß' mir die Seele aus meiner Brust
 Und um mein Herz leg' ich ein kaltes Eisen

 糸を我が唇に縫い通し
 恭順を示すべく唖となろう
 我が魂をこの胸から引裂き
 我が心臓に冷たき鉄枷を嵌めよう

 Geh' auf die Knie und dann leide für sie

 跪き、彼女がために苦しむのだ

 Alles aus Liebe zu ihr
 Alles und mehr wird passier'n
 Ich will mich verletzen, will alles wagen
 Grausame Schmerzen werd' ich ertragen
 All das nur aus Liebe zu ihr

 全ては彼女への愛ゆえに
 どんな目にでもなお遭おう
 我が身を傷つけ、何も恐れず
 苛酷な痛みでさえも耐え忍ぶだろう
 全てはただ彼女への愛ゆえに

 Dein Paradies ist ein kaltes Verließ
 Geh' auf die Knie und dann leide für sie

 汝の楽園は凍えた地下牢
 跪き、彼女がために苦しむのだ

 Alles aus Liebe zu ihr
 Alles und mehr wird passier'n
 Ich will mich verletzen, will alles wagen
 Grausame Schmerzen werd' ich ertragen
 All das nur aus Liebe
 Aus Liebe
 All das aus Liebe zu ihr

 全ては彼女への愛ゆえに
 どんな目にでもなお遭おう
 我が身を傷つけ、何も恐れず
 苛酷な痛みでさえも耐え忍ぶだろう
 全てはただ愛ゆえに
 愛ゆえに
 全てはただ彼女への愛ゆえに

独文独歩 54

 トルストイ
 『戦争と平和』

 抜き書きとメモ

 ――
 アンドレイはクトゥーゾフの副官。戦況を伝えるため若いフランツ皇帝(神聖ローマ帝国最後の皇帝(~1806)、オーストリア皇帝1835まで、メッテルニヒと組んだウィーン会議の主宰者、反動政策。フランツ・ヨーゼフとは別人)に単身で謁見。何時に出発したかとかどうでもいいことを熱心に聞いてくる。

 ――
 ワシーリイ公爵(外交家)の息子アナトーリ(乱暴者)。老公爵ニコライ・ボルコンスキイ(偏屈で金持ち)の娘マリヤ(不器量で敬虔)。との縁談。
 嫌がるマリヤにおめかしをさせるリーザ(小柄で元気。アンドレイの妻。妊娠中にやつれる)とブリエンヌ(フランス女の侍女)。

 「もし誰でもこうして黙ってるのが、きまりが悪いと思う人は、どうぞ遠慮なくお話し下さい。ただし私はいやですよ。」とでもいうようなふうつきであった。/アナトーリの沈黙

 社交から遠ざかっていたニコライ家の女三人は三様に媚を示す。とくにブリエンヌは「哀れな母」の空想に心酔し、アナトーリとさっそく密会。それをマリヤが見つけ、人のいいマリヤは自分の縁談を断り、二人を結婚させてやりたいと願う。

 ――
 ニコライ・ロストフの負傷(じつは軽傷)と昇進の手紙。仮寓中のアンナが母に話す。
 やんちゃな末息子ペーチャ、姉たちのメソメソをからかう。
 恋人ソーニャ。
 ナターシャはボリスを忘れ、イタリア人の歌教師に惚れている。
 
 彼女の顔には困難な切断手術を終えて、自分の技術を驚嘆させるために参観者を導き入れる、外科医にも似た誇らしい表情が浮んでいた。

 返信といっしょに軍装用の六千ルーブリを近衛軍宛に送る。

 ――
 ロストフは普通師団の軽騎兵(ただし仕送りは誰よりもいっぱいある)として、副官のアンドレイは一目見て軽蔑したくなる。アンビヴァレンツ。
 しかし閲兵式のとき皇帝を見て感動し、決闘を申込むのはやめる。

 それはなんだかラッパ手などの吹奏ではなく軍隊自身が(若いアレクサンドル一世)皇帝の接近を喜んで、自然に発した音のように思われた。

 ウラー!
 皇帝のそばに醜い負傷兵がいると「侮辱されたような気が」する
 皇帝はショックを受けたふう。御不例

 「なあ、出征中は誰も惚れる相手がないので、この男、陛下に惚れちゃったよ。」/ジェニーソフがロストフに。
 かのアウステルリッツの戦いに先立つ数日間はみんなこんな感激に酔いきっていた。
 ウルムの会戦(オーストリアの負け。ナポレオンはウィーンのシェーンブルン宮殿に入る)の報復という形。

 ――
 軽蔑的な口のきき方をしようと思った時いつもするように、ロシヤ語をフランス風のアクセントで発音しながら、アンドレイ公爵はこう言った。

 「不文律の階級序列」を意識するボリース

 ――
 時計の歯車のような軍事のメカニズム。「伝達の一分前まで平然として静止している」
 時計において無数のさまざまな歯車や、滑車の複雑な運動の結果が、たんに時を示す針のゆるやかな正しい運動にすぎないと同じく、これら十六万のロシヤ、フランス両軍の活動の複雑な結果(…)も、たんにアウステルリッツの戦い(…)の敗北にすぎなかった。とりもなおさず、人類史の文字盤における、世界歴史なる指針のゆるやかな移動にすぎないのである。(1. p.496)

 ――
 軍事懐疑、老人派(クトゥーゾフ)の慎重論に対して若者派(ビリービン、ドルゴルーコフ)の決戦論が勝つ。ナポレオンは決戦を恐れて会見を申込んだりしているのだと考える。
 ヴァイローターの作戦命令書の読み上げ。隻眼のクトゥーゾフは寝ており、終わると起きる。

 それはちょうど、子守唄に似た粉挽車の響きの絶えた時に眼をさます、水車場の主人に似ていた。彼はランジェロンの言葉に耳を傾けたが、まるで「ああ、君たちはやっぱりそんなくだらんことを言ってるのか!」というように、急いで眼を閉じていっそう低く頭を垂れた。

 早く寝たいということになりアンドレイは自分の意見を開陳させてもらえない。

 ――
 早朝の霧の深さ。どこに行くかも分からない。焚き火の煙や硝煙が目に染みる。
 行軍が渋滞。憤懣を味方のドイツ人たちへ転嫁。腸詰屋め!
 士気阻喪。司令官たちも作戦に不満なので激励しない。
 霧が晴れると、川のこちら側、目と鼻の先にナポレオン軍がいる。窪地=霧の海へ下るロシア軍を待っていたのだった。
 不意を突かれて敗走するロシア軍の中、軍旗をもってアンドレイ突進。しかし棒で殴られて仰向けに倒れ、空を見て悟りを開く。そこにナポレオンがやってきて「見事な死にようだ!」捕虜になる。しかし高い空と比べるとナポレオンが小さいものに思われる。見込みのない負傷者として土地の住民に世話をまかされる。

 ――
 右翼に対する命令を皇帝に聞きに行くロストフ。しかし味方は負け、皇帝が意気消沈しているところに話しかけられない。

 凍った池の上を通って逃げようとするが全員溺れる。

 ――
 ドーロホフに間男疑惑をいたき決闘で撃つピエール。そのあと妻エレンと喧嘩して別れて出ていく。
 駅の待合室でフリーメーソンの老人に会う(アダムの首の指輪)

 フリーメーソンの男[=バズジェーエフ]は注意ぶかくピエールをうち眺めて微笑した。それはあたかも、いく百万の富を握っている長者が「私には五ルーブリの金もありません。それがあれば幸福になれるんですが。」と訴える貧民に、微笑してみせるようなあんばいであった。

 ペテルブルクで入信の儀式。目隠し、脱衣、貴重品の譲渡、剣の突きつけ、光、三組の手袋。ワシーリイ公爵の申し出もはねのけて南方へ。

 彼が結婚してしまって、娘や母親たちにとって期待することが少しもなくなってしまうと、彼は一時に社交界の評判を失墜した。そのうえ、彼は社交界の好感を求めることがへたで、しかも、それを望もうともしなかった。

 ――
 ドーロホフとニコライとソーニャの三角関係。結婚拒絶されたあとドーロホフがニコライをカードで四万三千ルーブリ負かす。
 ジェニーソフがポーランドのマズルカを踊ってナターシャを引き回す。彼はのちに軍隊で食糧トラックを強奪する。

 ――
 ボリースの出世。エレンとお近づきになる。

独文独歩 53

 【翻訳】トーマス・マン:帝国内務省への手紙 (1934)
 Thomas Mann: [An das Reichsministerium des Inneren] (1934)

 以下に訳出する手紙は、トーマス・マンが予期せぬ亡命から一年後の1934年に、差し押さえられた財産の返還とビザの更新を求めてナチスの内務省に宛てて書かれたものである。マンはミュンヘン警察の自分の財産に対する専横が、帝国本部の方針や言明とずれていることを感じ、上層部である内務省に警察当局の統制を求めようとしたのである。しかし、これらの要求は黙殺された。
 手紙は語気鋭くナチスの不法性を糾弾し、また嫌悪感をも直接はっきりと表明しながらも、同時に敵対の意志がないこと、自分が政治的に無害でありつづけることを再三強調している点で、両面的である。迎合もせず、追放もされないような中間の道をうまく選ぼうとしているところは興味深い。
 

 1934年春
 チューリッヒ、キュスナハト
 シードハルデン通り33番
 ベルリン、帝国内務省御中

 帝国内務省の皆様に私から、所轄のミュンヘン警察当局が私の前年四月一日期限切れの旅券を認可し、またドイツ国内に存する、八か月にわたり占有されている私の所有物、すなわち家屋、書棚、動産、財産を返還して下さるべく、お取り計らい頂けるようお願い申し上げます。
 以下は本請願の論拠と解説に用立つものです。
 1933年2月11日に私は四十年来常住の地であるミュンヘンを立ち去り旅行を開始いたしました。これはワーグナー記念年に際してのもので、私はアムステルダム、ブリュッセル、パリへ向かいました。私は当旅行をかつてのどの旅行とも同様、何らの他意なく、帝国の政治的状況とは全くもって無関係に企てたのでありまして、来たるべきものへの予感は全くありませんでした。私が旅行から住み慣れた職場の地へと帰還し得ぬことになるなどとは、他の多くの旅行と同様、推測の及ばぬところでありました。
 私の上述の都市における諸講演の完遂の後に、私は妻と共に予定通り二、三週間を見積もった療養滞在をアローザにて行いました。そして当地にて、選挙の結果とドイツの政治的大変動の報せがわれわれを驚かせたのです。私はこの報せに、帰郷を少しでも躊躇う理由を見取るには、差し当たってあまりにも離れていました。逆に私の最初の衝動は、まさにこれらの状況下において即刻自宅へと戻らねばというものだったのです。 各方面からの友人の警告が私に届いてきたときには、トランクの荷造りも終えていました。国境をまだ越えられないかもしれない、個人的安全が保障されていない、バイエルンの新しい国家政府が私を目の敵にしている、逮捕される危険がある、等々の警告です。これらの抗議が私に、政治的変化の最初の騒乱とそのような変化に伴う権利の空白状態を、外国にて待ち通すように指定したのです。あの都市は、私が人生の大半を名誉のうちに過ごした都市であり、その市役所は私の五十歳の誕生日とノーベル賞の表彰を心からの祝典で執り行って下さったものです。また私が数十年を通じて、不愉快な状況下においてすらも、その都市に誠実であり続けたことで、私に感謝を述べた都市でもあります。この私の第二の故郷が、私の追放を目論んでいるなどとは、私は当時考えることはできなかったのです。
 にもかかわらず、四月初めに『ワーグナーの街ミュンヘンの抗議』の題のもとに私に抗して動きだしたラジオ運動と出版運動とは、まさにこのことを目指していたのでした。私はこの騒がしい、驚くべき悪意をもって企てられた攻撃についての報せが私に殺到したとき、ルガーノに滞留していました。友人、ロータリークラブの仲間、芸術家、同僚、それまで私に一見好意的にみえた、いや献身的にもみえた人々がこの攻撃を私に対して企てたのです。私が自分の状況について抱いていたイメージはそうして一挙に変わってしまいました。バイロイトの巨匠についての多層的な研究である、『リヒャルト・ワーグナーの苦悩と偉大』は、私が冬に執筆し『ノイエ・ルントシャウ』の四月号に公開したものです。それは私が最初2月10日、旅に発つ前日に、ミュンヘン大学大講堂にて行った講演からの抜粋であり、講演はミュンヘン文化生活局の筆頭代表者たちを含む五百人の聴衆に心からの満足を表明せしめたものですし、またアムステルダムとパリにおいても同様の成功を再び収めました。この論文は悠々としており、偉大な演劇家の作品に寄せる、深く根を張った、生涯にわたって保たれてきた情熱で満たされていました。論文はヨーロッパの批評界からは、生産的には通常あまり実り多いとは言い難い記念祭への、最も堂々たる精神的寄与のひとつとして見なされました。論文の批判的な調子にもかかわらず 、まさにそれを通じて、魅力的な現象へのある生き生きした関心を、その現象がもはや博物館向きでしかないように感じられ問題としては萎びた些事に堕してしまったように思われていたまさにそのときに、再び呼び起こすということに、この論文がぴったり適していることを私はよく知っていたのです。
 かの運動の開催者たちはしかし私の論文に突如ドイツの巨匠への、しかもその上外国の聴衆を前になされた侮辱を見たのでした。かれらの「抗議」とやらは、大小様々の名、個別の名士たち、諸機関ないし諸連合等のまったくの大衆動員による署名がなされていましたが、それ自体ある独特の、これ以上なく屈辱的な言い回しを用いて起草された私の人格ないし国内外を前にした生涯の功績への侮辱だったのです。確かなことですが、署名に連ねられた人々の大多数は、私の論文を読んでもおりませんし、この抗議の極端で、部分的には――正直に申しまして――笑止千万とも言える本文を知らされてすらいない人もいるでしょう。確かなことですが、参加者の多くはその発起人たちに至るまで、今日すでに自分の当時のやり口について決して純粋な満足をもっては想起しえなくなっているでしょう。 しかしラジオ放送や全新聞雑誌によって流布してしまい、このような一瞬間のうちにきわめて興奮した大衆のもとに投げ入れられてしまったので、この報せは恐ろしい中傷としてより以外の意味を持たなくなったのです。私がもしたまたま現場にいたならば、誇張なしに申しますが、この中傷によって私は健康と生命を失っていたでしょう。私は国外滞留が思ったよりも一時的なものではないということ、そして私にこれらの危害を加えた人間たちのもとではそう早く再び暮らすことができないであろうことを把握せねばなりませんでした。
 私のミュンヘンに残してきた財産に対して執られた処置は故郷での私の扱いがどのようであるかについての詳細をやがて私に明らかにしました。まだ四月のころに、表向きは政治警察の命令ということで、私の二台の自動車、ホルヒのリムジンとビュイックのフェートン 、それらだけでなく、さらに息子のDKWの軽自動車までもが車庫から取り出されました。それも押収といったものではなくて、単にミュンヘンの突撃隊(SA)によって引き続き乗り続けられ、使い倒されてしまったのです。この公用徴収の違法性については今日ではもはや異論の余地なきことですが、弁償は全くなされておりません。
 それから程なくして私の自宅ならびに家具調度、銀行口座、謝礼金の差し押さえが行われました。この措置が、私の遠隔地滞在が持続的であると明らかになった場合に帝国逃亡税を請求する財務局の利害に基づいて起こったものである限りは、これに反論する余地はありません。しかし実際のところは、以前に明確な形で政治警察がしてくださった約束に反して、財務局への弁済が済んだ後にもなお差し押さえは今日に至るまで解除されていないのです。私の弁護士 であるヴァレンティン・ハインス博士は、多数の表彰を受けた戦争参加者でありますが、彼は職務上の熱意としてよりもむしろ人間的な結びつきから、私の利益のためにこの年の間に例を見ないほどの献身と疲れを知らぬ粘り強さをもって尽力してくださり、帝国逃亡税の支払いに必須の金額を捻出することに成功したのです。私の全財産のかなりの割合を占めた金額の支払いは警察への転居届提出と同時に行われましたし、財務局は満足しました。私は自分の状況を法的に認められたと考えてもよいことになり、少なくとも私の文学的仕事の収穫が 得られなくなることはもはやなかったのです。しかし私の弁護士が苦情や返還請求など果てしのない努力をしたにもかかわらず今日に至るまで、私のミュンヘンの財産ととりわけ私の自宅ならびに動産、そして私の仕事にとってあまりにも欠かせない書斎を、政治警察の拘留のもとから解放することには成功していないのであります。それどころか、ただ押収のために独占されたのであって決して公用徴収されたのではない物件であるはずの私の邸宅は、政治警察によって、何ら私の同意なしに数か月の長きにわたって十五人の私的な宿泊施設のための使用に委ねられているのです。これは自動車の持ち去りとまさしく同様の種類に属する処置でありまして、ただそれよりもかなり後になって遭遇したに過ぎませんし、前件と同様、革命的行為として解釈されることは到底できないものです。そして私の財産の返還がなされていないのと全く同様、現在に至るまで私の期限切れビザの延長もしくは更新もなされておりません。現地または領事館におけるあらゆる試みは失敗し、また失敗せざるを得ませんでした。なぜなら私が聞き知ったところでは、私に市民権証明書を交付することを拒否しろというミュンヘン政治警察の回状が外国にあるドイツの諸事務局に提出されているからです。ベルンのドイツ公使館のミュンヘンへの働きかけも効果を挙げませんでした。まだつい先日にチューリヒの総領事が、ミュンヘン警察本部における状況が変化し法的に完全に浄化されたということを示唆し、私に二、三の直接的な試みを勧めてきたのですが、その企ても理由の提示なしにあっさりと拒絶される結果に終わりました。
 ミュンヘン警察当局のやり方が首尾一貫していないことは歴然としています。苦い経験によって私は、ドイツへの、私が一世代よりも長きにわたり住み働いてきた都市への、私がそこに居を構えそこで私の余生を終えようと考えていた故郷への帰還を、期間も分からぬまま断念し、私の住居をドイツ語圏の外国に置かざるを得なくなったのです。法制上の移住税は――それは私の生活状況をもちろん根底から変化させてしまった支払いでしたが――支払うのに吝かではありません。しかしそのことからは、私に残りの財産を返還するという結果も、合法的にスイスに在住しているドイツ市民であるこの私のビザが更新されるという結果も引き出されていないのです。この支払いに何の意味があったのでしょうか? 祖国に恥を塗ったことなど一度もない、いやそれどころか、様々の侮辱を受けたゆえにあえてこう言うのですが、まったくその反対だったと主張しても許されるであろうような一人のドイツの作家が、こう扱われていることに外国は納得しないでしょうし、文化国家かつ法治国家としてのドイツの体面にとってこのような扱いは為にならない、と言わざるを得ないのではないでしょうか? もちろん、緊急の場合には市民権証明書がなくても生活はできます。私がこの一年来滞在してきたフランスとスイスの諸都市は、私に客人としてのもてなしを示してくれました。私はドイツ人としてそれに恥じ入った――そう言わねばなりません。かれらは私の裡に何らかの政治的機構の代表者を見たのではなく、ドイツ精神の代表者を見たのでした。そして帝国最上層の省庁はこの見解に喜んで賛同しているようにすら見受けられます。私からドイツの名を剥奪するという考えを、この決定的な地位の方々は考慮に入れておらず、とにかくその考えを否認しました。しかし私に対するこのミュンヘン警察当局のビザの拒絶ならびに我が財産の勾留という処置の決定を通じて、あらゆる法的かつ論理的な根本状況は取り去られてしまったのではないでしょうか?
 私はここで、本件の解決を遅らせている悪意の動機となっている政治的諸背景についていくらか紙面を割いて検討する必要があります。私の弁護士がミュンヘンの省庁の者から示唆されたところでは、この解決に対立している困難性は、私が「マルクス主義的作家」であるという事実に起因するのだということだそうです。これは私の影響力と精神的存在についての違和感のある単純化であり、まったくの誤認であります。何よりもまず私の作家としてのドイツ国内ないし国外における名声はドイツ共和国の十四年の賜物などではなく、共和国に結びついてなどいないのです。数百万部にもなって流布しドイツブルジョワにとっての家庭読本とされることとなったあの家族小説は、世紀転換期に出版されたものですし、それにさしあたって続き、私の文学的イメージをより完全なものにさせた作品群は、同じく大戦より前の時代に属しているのです。私の性質の重点はこれまでもまたこれからも精神的・芸術的なものに置かれるのであり、政治的なものにではありません。私の生産物から発した国民への効果は、道徳的かつ形式的、そして文化的な種類のものだったのです。私が倫理的・美的なものを自分の本来の領域として感じ、政治的・社会的領域を価値の劣ったものとして無視してきたという、まさにその点において私は自分を「ドイツ的」であると信じています。大戦の激動が私にもまた政治的告白を強いましたが、その頃にまさに政治化、すなわちドイツ精神の民主化とよばれるものが現れたのであり、それに対して私は(『非政治的人間の考察』において)戦いを挑んだのでした。この本は猛威をふるい侵攻してくる政治を前にしてロマン的・アポロン的な市民性が行った唯一の偉大な退却戦でした。自分がそこに結びついていると感じている、過去と伝統の偉大なる価値を、革命的なものに対して勝利する見通しが全くないにもかかわらず擁護するということは、私にはいつも作家にとっての尊い軍人的名誉に満ちた任務であると思われたのです。
 この意味に従って私は、やがてドイツ国内とドイツを超えて勝利を収めることになった革命に抗して行動したのでした。私は保守的・非政治的な『考察』の意見のもとにはとどまり続けていませんでした。時代の経験が私に、人間的、人道的な問題を、ひとつの全体性、ただし否応なしに政治的・社会的なものも属しているような全体性として把握することを教えたのです。それはもちろん、例えば政治的なもの、国家といったものを、全てであると捉えてそれを全体主義化しようとするのとは別のことでした。私の欲するところではなかった共和国は、私にはある運命的に与えられた状況のように思われました。そこで私は戦後の時期にいくつかの演説や論文で、私の民族、というより民族のうちで私が影響力を持っていた層に、この運命に甘んじさせることを試みたのでした。その際、とりわけ『ドイツ共和国について』というエッセイの中で、私はドイツロマン派が提供した伝統的な結び合わせの能力を使用したのです。平和への愛と、私の国民を運命によって課されたかれらに固有の課題とだけでなく、世界とも、ヨーロッパとも和解させたいという願いとが、私の手をこれらの仕事のもとへと導いたのでした。それは義務感に由来するのであって、思い上がりによるものではありませんでしたし、常に芸術家的な働きを伴った仕事でありました。私はドイツのしきたりの中に自分があまりにも安全に隠れているのを感じていたので、自分のヨーロッパ的共感を自分のドイツ性の侵害ではないかと懸念することなどありえませんでした。ひとりの作家がヨーロッパ世界には愛国的な顔を向け、しかし自分の国にはヨーロッパ的な顔を見せるということは、ゲーテの時代からドイツでは新奇なものではありません。私の作品が外国の人々の眼に入るようになって以来――およそ戦争勃発の頃以来ということですが――かれらは私を常にドイツ特有の人物であると見なし、私の本がどれもドイツ国内、そしてドイツの文化・精神形態から以外のどこからも成立しえなかったであろうものであることを大いに感じていたのです。このことは、少なからぬ同郷人が私のうちに根なし草の知識人より他の何も見出そうとせず、私の著書のある種のヨーロッパ的能力を無性格な国際主義と取り違えたということについて、ある程度は私の気持ちを落ち着かせました。
 私が政治への立ち入りと説得によって自分を「害した」ということや、ある詩人が市場と公的な意見の戦いの競技場へとそのように「下降」することが多くのドイツ人にとって価値を損なうことであり詩人として名誉を失わせるようなものだと見なされるということ――これは真にドイツ的な非難でありまして、しかし私が時流に従って泳いでいたならば、当てはまることのなかった非難だったでしょう――このことを私はよく知っていましたし、そのことに苦しまねばなりませんでした。自己中心的で生活の手管に長けるという意味では、黙っていた方がより賢かったでしょうし、悠々としていられたでしょう。それでも私は、私が同国の人々に表現しようとしたように、「課題としての共和国」を真面目に引き受けたのでして、討論というものがあった限りは、私が正しく善いと見なしていることのために語ることを続けていったのです。これらが「マルクス主義」であったなどということは、ほとんど当を得ていません。私がドイツの市民階級に――すなわち私自身の階級、私自身がそこに由来し結びついている領域に――政治的に社会民主主義的な労働者階級の側、この文化的に非常に善良なドイツ的人間の種類の側に味方するように要求した理由は、それがまさにこの市民階級にとっての強大な力の流入であり私の眼には市民文化の救出を意味するであろうと映ったからなのです。歴史的に見ればこれは決して不可能な考えではありませんでした。というのもすでに1848年に労働者階級が最初に出現した際にも、かれらは市民階級との同盟のもとに立ち上がったのではありませんか? 市民・社会主義的前線の形成によって真に社会的、民主的な共和国を樹立するということは――私にはそう思われたのですが――ドイツ的問題の人道的、平和的、そしてヨーロッパ的な解決であったはずですし、それは同時に文化的な意味ではもっとも保守的であったはずです。
 運命はそのような願いを跳び越え去ってしまいました。そして私は、運命が十分に断乎として告げ知らせた託宣に反抗するほど、馬鹿者ではありません。 原初的な力、そして私がよく知っていたように、不幸によってあらゆる方法で助長された力は、その印のもとにとうの昔に全てのものが立っていたのであり、その力には諸力と諸信念の戦いにおいて無制限で、全体的で、すべてを規定する勝利が疑いようもなく長い期間にわたり定められていたのです。この力に対して私は、戦いが意味を持つ限りのあいだは、自分の能力の狭い範囲のうちで戦ったのでした。そして私の内面に生まれつき備わっており、性格上どうしても不可避であるところの、国家社会主義的な国家像・世界像に対しての嫌悪の情を、私は今日この場所においても、隠そうとはしません。この勝利に富んだ国家社会主義が、おべっか使いや懸命に自分を売り込もうとして寝返ってくる人々に対して示す軽蔑のことを私は知っており、評価してもいるだけに、なおさらいっそうこのことを隠さないのです。 しかし歴史が彼らの言葉を話すようになって以来、私は沈黙し、プロイセン芸術アカデミーの脱退の際に私が提出した釈明のとおりに厳格に従ってきました。私の決心は、長年の間に私の生活に関わるようになっていたあらゆる公的なものを、生活から振り捨て、完全なる引退生活の中で自分の個人的な使命のために生きるということです。
 この決意――私が以前に賛同した理想が歴史的には敗北したということの帰結――は帝国の国境の外側において最もよく実現されうるのであり、この生活形態が自分の文学上のライフワーク――明らかに今日の国家にとっても決して無意味ではない作品――を完成させるために必要な内的安静を、一番容易に保証してくれるということを、私は洞察するようになりました。それは簡単に戦い取った洞察などではありません。私がドイツ文化の伝統に真底から最も自然な形で属しているのを感じており、私の思考も創作も徹頭徹尾その文化に規定されていると知っていることは、すでにお話ししましたが、それゆえに亡命の考えや、自分の国の外側でただ二、三年にわたって広がる生活をすることすらも、非常に困難で不幸をはらんでいるというように前々から私には強く感ぜられていたのです。他でもないこの私に国外移住のくじが当たりうるなんてことは、私は夢想だにしなかったのです。というのもそのようなことは私にはいわば揺りかごの子守歌にも歌われていなかったのですし、そもそも純粋に人間的にもこのことは理解していただけるでしょうが、ほとんど六十歳になんなんとする者にとって自分のすっかり慣れきった生活の基盤から突然切り離されるということは、深刻な衝撃を意味するのです。
 そういうわけで、私は自分の国外滞在をも祖国からの永続的な分離として理解するのではなく 、運命によって指示された挿話として、こう言って良いならば、ひとつの休暇として、期限を定めない、しかし然るべき期限の間だけの民族共同体からの休暇として理解しているのです。また当初からの私の望みとしては、何か自分に関わるようなことのせいで 、私を精神的に、私のドイツ国内の大衆から切り離させたくないのです。私は自分に言い聞かせたのですが、私の本はどれもドイツ人のために、第一にそして根源的にそのようなもののために書かれているのです。それらは国家と作者との相互の教育的な結びつきの産物であって、私自身がまずドイツで手を貸して創りだした諸前提を前もって計算に入れていたのです。「世界」 と世界の関心とはつねに喜ばしい偶然事にすぎなかったのであり、世界だけでは私はどうしようもないのです。理解の足りない者たちだけが私について根無し草だと陰口を叩いているのですが、私は最後までそれを自ら本当の事にしてしまいたくはありません。だからこそ私は、自分がドイツからもはや一ペニヒの報酬をも受け取れるのかすらもまだ全然確実でないような時点であるのに、私の新しい叙事作品、聖書小説について私になされた、それに同意すれば私の生活が保障されたであろうような全ての外国からの申し出を拒絶し、あらゆる危険を冒してまで作品の第一巻と第二巻をドイツ国内で、私が文学界に足を踏み入れて以来ずっと共同で仕事をしてきたベルリンの出版社で、出版させたのでした。 そして故郷からの数多くの報せが、私が正しいことをしたということを示してくれているのです。
 本記述の冒頭で述べた請願に話を戻します。私は内務省の方々に、私のドイツ市民たる証明書を更新する権限をチューリヒ総領事館に委託して頂くようお願い申し上げます。また帝国に対し、ミュンヘン警察当局に私の現地に残してきた財産を差し押さえから解放するよう指示して頂くことをお願い申し上げます。これは実際的な理由からばかりで――そこにも非常に重きが置かれているとはいえ――お願いするのではなく、理念上の理由、名誉にかかわる理由からなのです。なぜなら自分の国と不運にも仲違いした状態で生活することは私の望みではなく、私の本来的な運命を歪曲してしまうことを意味するでありましょうし、それに世界の眼にとって、ドイツの名誉もまたこのような状態から益をなすことがないであろうという気持ちからなのです。
 敬具
 トーマス・マン
 

 原文→ Thomas Mann: Briefwechsel mit seinem Verleger Bermann Fischer. S.Fischer Verlag. 1973. S.654-663.

ゾベルニクスのライブ

 zobernixlive

 ゾベルニクスが初ライブをします。
 2016.4.27 (Wed)
 @ 町田 The Play House

 来てくれる方はご一報ください。
 
 → ■ 『大学中退』 PV
 → ■ 1st Album 『親が悪い』

独文独歩 52

 巨大な数の滑稽と偉大

 数字はいかなるときでも無味乾燥な羅列であることはない。どんな数字も必ず人の情動に訴えかける力をもっている。1という数字には、孤高な自我、あるいは排他的な絶対者といったイメージが伴う。2という数字を見れば、相互の調和や対立が心に描かれる。それは決して1足す1とはイコールで結べない、その数字に固有の像なのだ。もちろんそんなものは数字自体の本質とは何ら関係のない、余計な作用の結果にすぎない。しかし人間はその余計物のせいで心を千々に乱すのである。
 ところで、人はあまりにも巨大な数を聞かされると、いささか面食らったような顔をせざるを得ない。何十万何百万という数は、何らの具体的なイメージにも変換することができないからである。
たとえば人間の数について考える。一人ひとりの顔と特徴を分けて同時に頭に入れておけるのは、せいぜい十人前後が限界である。キリストの使徒が十二人でなく百二十人だったと想像してみればよい。それは識別不可能なひとつの大衆にすぎず、誰かが裏切ったところで何の感興もないはずだ。「1」が12つ集まったところにはじめて物語は生まれる。
 第二次世界大戦の死者が四千万人であると聞かされても、悲惨さを実感するどころか、何やら愉快な気分になってしまいかねないのも、この非個人性が原因である。匿名の四千万人の死より、一人の人物の死のほうに、人は心を打たれ落涙する。「四千万人」という数字はもはや想像不可能でナンセンスな数字でしかなく、人間の集まりではないのだ。
 数が巨大になればなるほど、個別の構成単位「1」はフェードアウトしていく。その巨大さは、無意味さと滑稽さを帯びる。巨大な数は笑いを引き起こすようになる。
 ラブレーの巨人譚『ガルガンチュア』には、やけに細かい巨大な数字が乱用される。その細かさと巨大さは、笑いどころであり、滑稽さの引き立て役である。それは巨人ガルガンチュアのスケールの大きさを誇張するために用いられている。
 例えば、かれの母ガルガメルは「まるまる肥えた牛を、三六万七千と十四頭も屠らせて」臓物料理を作らせ、それを「一六ミュイと二樽、それに六壺分も」食べてしまい、そのせいで直腸がゆるんで脱肛してしまう。それが子宮に影響して赤子ガルガンチュアは逆流し、静脈を通って左の耳から生まれ出るのである。新生児ガルガンチュアの肌着には九〇〇オーヌの布、胴衣は八一三オーヌの布、腰ひもには一五〇九・五頭分の犬の革が使われ、ズボンには一一〇五オーヌと三分の一のウール布が使われ……と、実際にはまだまだ続くが、小数点以下にまで至るこの数字の細かさは、何とも奇妙である。
 学生になったガルガンチュアはパリに留学した際、物見高いパリ市民たちを放尿で大量溺死させる。「ガルガンチュアはにこにこしながら、みごとなブラゲットを外すと、逸物を空中高くつきだして、じゃあじゃあとおしっこをしたので、なんと二十六万四百十八人の人々が溺れてしまった――ただし、女子供をのぞいての話だが。」
 これほど深刻味のない虐殺シーンが他にあるだろうか? ここには、たとえば小学生の男子が決闘ごっこをするときに、互いにより高い「戦闘力」を叫び合うといった幼稚な光景と、きわめて類似の性癖が感じられる。
 巨大な数は決して、(形而上的な意味での)「無限」ではない、ということが重要である。戦闘力は「無限」であってはいけない。それは小学生同士のルールに反するはずだ。もし仮に一人の男子が禁を破り、戦闘力「無限」と言ったとしても、もう一人は「無限の無限倍」と叫ぶだろう。大小比較ができることこそが戦闘力の本質である。大小比較を絶した「無限」や「永遠」という、神的な概念の作用は、数字の作用とは全く異質だ。数字はあくまで地上の尺度にとどまる。銀河の大きさや光の速さすらも、メートル原器を基準に測るのだ。その地上性ゆえにはじめて、地上に抱えきれないほどの巨大な数には可笑しみが伴うのである。
 ラブレーの細かい数字の面白みは、「数えきれない」ものを数えてしまうことにある。数えられたものはすべて、決して抽象的神格的な「偉大さ」に達しない、単なる「馬鹿でかさ」なのだ。
 ところがこれに反して、ミハイル・バフチンは彼のラブレー論でこの馬鹿でかさを、民衆的な偉大さ、「リアリスティックな紋章性(エンブレマチカ)」として称揚する。上に引用した無意味な数のナンセンスな面白さが、偉大さとどう関わるというのか?
 バフチンの論は非常に刺激的なものである。彼はゲーテの言葉を引用して、ここでの「偉大さ」の、通常とかなり異なる意味合いを説明する:「衆にすぐれて偉大な人物は、より多くを有するにすぎない。かれらとて、大部分の人と長所や欠点を分ちもっている。ただそれらをより多くもっているにすぎない」。ラブレーの巨人は、大衆を超越した例外者としてのヒーロー(=超人)ではない。かといって、ビーダーマイヤー的な「小さな取るに足らない人間の偉大化」でもない。そうではなくて、飲酒、大食、排泄など、なべて庶民のなすことを、ただものすごい規模でするという点で偉大なのだ。
 この意味でならば、「馬鹿でかい数」は偉大さに通じるといえる。庶民と同じ地上に立った、デモクラティックなヒーローを描写するためには、ひたすら地上的な数値を並べることは理にかなっているからだ。また、数字のナンセンスは、度重なる下ネタのナンセンスと軌を一にしている。飲食・排泄・性といった、ほとんど虚無的といっても良い生命活動の肯定に基盤を置いた「偉大さ」という概念は、きわめて興味深い。これは全く神格性を帯びない偉大さである。偉大さとナンセンスとが不可分に同居しているのだ。
 古代においては、神格的な偉大さが、数の大きさで測られていた。旧約聖書の人物はみな何百歳に至るまで長生きするのであり、その個々の没年はかなり執拗に記録される。いにしえの人物はみな背丈が巨大であり、末代に生きるわれわれはその矮小化の結果なのだ、という考えは、日本も含むあらゆる地域の神話に存在する。「黄河沙」「那由多」「無量大数」なども全て仏教用語だ。
 昔の人間たちは、大きいこと、数が多いことを、本気で偉大であり神々しいと思っていたのである。現代のわれわれにとってそれは滑稽にすぎなくなってしまっているが、かれらにはその感覚は無縁だったのだ。今のわれわれが、三十三間堂を埋め尽くす大量の千手観音を観るとき、素直に偉大だと思って感動する人と、爆笑するか或いは馬鹿らしいと思う人と、どちらが多いだろうか。ぼくはその無意味な数の多さを滑稽に感じてしまう。人文主義者ラブレーもきっと爆笑しただろう。しかし見方を変えれば、巨大な数の滑稽さと偉大さとは、決して矛盾しないのかもしれない。手が千本あることや、それが何百体と並んでいることは、たしかに偉大だ! それは決して下らない考えではない。素朴で子供心を忘れない、太い根っこを持った発想である。