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花粉地獄

 帰りの会のあいさつがすんで、コウはランドセルを背負って友達のケンゴと教室を出た。廊下の窓から見えるあたたかな青空は春の到来を告げていた。校庭に出ると低学年の子たちが駆けっこをしていた。辛かった中学受験を無事終え、小学校生活も残すところあと一月となったコウは、下級生たちの笑い声を聞きながらなんだかしみじみとした気持ちになっていた。
「あとすこしで、この小学校ともお別れなんだなあ」
「それがどーした」ケンゴが突っけんどんに言った。「こんなとこ、さっさとおさらばして、早く中学生になりてーよ」
「うん、でもやっぱり……」コウは鼻水をすすって目をこすった。「……なんだか、さみしいな」
「何だおまえ、泣いてんの?泣き虫い」
「ち、ちがうよ。カフンショウだよ」
 もともと病弱なせいかコウは花粉にもめっぽう弱く、防御策なしでは鼻水・くしゃみ・目のかゆみが止まらなかった。しかしコウは今日いつものマスクもティッシュも持ってきていなかった。受験が終わってからどうも気が抜けて忘れっぽくなっていた。家に着くまで十五分、なんとかがまんしなければならない。
「ああ、かゆいかゆい」
「コウは弱いなー。オレ、ぜんぜん平気だぜ」
「そりゃあ、ケンゴくんは強いもんなあ。冬のあいだも、ずっと半そでだったよね。すごいや」
 そういってコウは青空の光に目を細めて、くしゅんとくしゃみをした。
 校門を出ると両側に生垣がある。スギの生垣だ。コウは手で右目をこすりはじめた。
「ううう。かゆいよう」
「あっ。ネコだ」ケンゴは生垣に沿って歩いていた黒猫を見つけると前かがみになって追いかけた。閉じていないランドセルがバタバタと音を立て、猫は素早く生垣の樹の下に隠れる。ケンゴも夢中で生垣を探って入ろうとする。ガサガサガサガサ。木々がこすれる音がすると同時にコウはくしゃみを立て続けに三回して、両目を激しくこすりはじめた。
「ケンゴくん、やめて。カフンがとんでるよ」
「カフン?そんなもんどこにも見えないぞ」猫をあきらめたケンゴが立ち上がって言った。
「カフンはすごく小さいから見えないんだよ。くしゅん」
目をこするたびに目尻がクリクリと水っぽい音を立てる。そのまま歩いていたせいでコウは電信柱にぶつかった。それでもこするのを止めず、苛立たしげに呟いている。
「カユイ。カユイ」
「うるせーなー」ケンゴは呆れ返っている。
 しだいにコウの目のこすり方が変わった。両手を左右に動かしていたのが、今は円形を描くようにぐりぐりと眼の周りの皮膚を押し拡げている。それでも満足にこすることはできない。眼球の裏側まで全体がかゆくてたまらないのだ。コウはこするのをやめた。左目のまぶたを左手の親指と人差し指で、目薬をさすときのように拡げて、その下側の隙間に右手の人差し指を突っこんでぐりぐりと爪で引っかいた。
「カユイ。カユイ」
「おい……コウ、目が真っ赤だぞ」ケンゴが驚いてのぞき込む。コウは人差し指をさらに深く、第一関節まで左眼の下部に押しこんで、ぐちゅぐちゅと引っかきまわした。そこから涙のような粘液が少しずつあふれ出てきた。口を半開きにして鼻水を垂らし心持ち首を上に向け通学路を覚束なげに歩きながら、かきまわす速度がしだいに上がり、指は根元まですっぽり埋まった。すると右手を逆手にして人差し指を目の中で鉤型に折り曲げ左眼の裏側をかいた。流れ出す粘液に赤色が混ざってきてコウの白い頬を伝った。
「うわあ」ケンゴはコウの姿の異様さに怖気づいて反射的にその場を数歩離れた。
「カユイ。カユイ」
 不器用に左眼の周りをぐるぐると人差し指でえぐり取るようにしてかき回す。人差し指に中指が加わって二本になった。まぶたの皮膚は上下にしわをつくって押し拡げられ、コウの左眼球は全体の半分が外にあらわになっていた。毛細血管の筋が浮き上がって見える。コウはそれを右手でにぎりしめて引っこ抜いた。ブチッ。視神経の束が一気に切れる音がした。赤黒い筋肉がまとい付き、斜め後ろにだらりと神経の管をぶら下がらせた左眼をコウはしばし眺めると、そのまま地面に捨てた。
「カユイ。カユイ」
 ケンゴが物も言えなくなって呆然とコンクリートの上の左眼を眺めているうちにコウは今度は右目をこすりはじめ、やがてさっきと同じ要領でエスカレートしていってみるみるうちに眼球を引っこ抜きそれも捨てた。
「カユイ。カユイ」
 それでもコウのかゆみはおさまらなかった。コウは両手を両目に突っこんだ。すっかり広がりきっていた二つの眼窩には拳骨も容易にすっぽり入った。そのまま目の中で両手の十本の指を広げ、内容物すべてを引っかきまわした。血の混じった脳漿が隙間から流れ出てコウの腕を伝ったり地面にぼとぼと落ちたりした。やがて頭蓋骨の内側をガリガリ引っかく音が聞こえはじめた。
「カユイ。カユイ」
「や……やめろ。やめるんだ、コウ」やっと声を取り戻したケンゴが後方から怯えきった声で叫ぶ。コウは両手を眼窩からずるりと引っ張り出して、眼のない顔で振り返り、ケンゴを見た。両手には頭蓋の内容物がこびりつき、目玉のなくなった顔は形が崩れてくぼみ、眼窩からの流出物と鼻水と唾液でべちょべちょになっていた。コウはまたくしゃみをした。その勢いで脳漿がはねてケンゴの顔にかかる。
「ひいっ」ケンゴは失禁した。
 コウは眼のない顔で青空を見上げ、汚れた手で首をぽりぽりとかきながら独り言のように呟いた。
「ああ、くしゃみしすぎて、こんどは喉の奥がかゆいや」
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