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独文独歩 7

 カロッサ
 『美しき惑いの年』

 Hans Carossa, 1878-1956
 Das Jahr der schönen Täuschungen, 1941

 医学は体の安定を、文学は心の安定を、病んだ人間にもたらしてくれる。シラー、シュニッツラー、鷗外、杢太郎、斎藤茂吉に北杜夫と、医者兼文学者の多いのは、その職業の本質的な対称性から来ているのかもしれない。カロッサもお人好しの開業医として診療に忙殺される傍ら淡々とものを書いていた人で、この作品は十九歳でミュンヘンの医科大学に学んだ一年を、還暦を過ぎてから回顧した自伝小説。
 文学かぶれの理系くんは医者修業のためのさまざまな講義を通じてそのゆたかな感受性をゆさぶられ、中でも解剖学の実習に強い印象をうける。平気なふりを装いつつも自殺者の屍を見ては気持ち悪くなり、若い女の裸体を(人生で初めて)見ては死の恐怖と無常感にうたれる。しかしその後に人体組織学の講義を受けて理解のよろこびを得てからは、もはや恐れは消え、整然とした認識の眼で屍体に接することができるようになった。
 
 死者たちの運命にやわらかな新しい光がさしてきた。(…)そうだ、かれらはかれらの解体を、他の人々とちがって自然に任せず、認識と美の使徒の手にゆだねたことによって、一つのより高い王国の市民となったのである。そこはもう燃える蝋燭や涙にしめる儀式などの必要のない国なのだ。

 解剖学の場面は、この小説の冒頭にあるたとえ話と密接に関係すると思われる。全世界のリンゴの樹が枯れて、たった一粒だけ残ったとしたら、それをばらばらに分解して精密に記述するべきか、見込みが薄くとも地に蒔いて新たな樹木に育てようとするか、という話だ。事実を冷静に取り扱う解剖学などの医学は、まさしく前者の行為に擬されるもので、若きカロッサはこの場面でその門をくぐったのだ。しかし理性一点張りのタイプではない彼は、より創造的な天性への共感も強い。
 文学という薬にも副作用がある。ゲーテに心酔し、女性を神秘化して憧れにそわそわしている若いピュアな男の子には、女は男の確固たる歩みを惑わす罪な存在だから気をつけよというカトリック的な禁欲の訓話よりも、無際限な自由の享受を至上命令とせよという世紀末の詩人デーメルの叫びのような、異教的な官能万歳の思想のほうが魅力的にきまっている。しかし、そんな開放的な生き方も彼には所詮似つかわしくないのだ。似非フランス人ビッチちゃんアルディーンとの交際をピークに、そこを抜け出してからはより理性と感性のバランスのとれた考え方を育んでいき、最終章には田舎の女流詩人エレメンツ・マイヤーのもとを訪ねるプラトニックな出会いが描かれる。彼は冷徹な研究者にはなりきれないが、悦楽の追求者にもなり得ない。青春によくある「美しき惑い」を重ねつつも、こつこつ化学式のお勉強をして着実に真理をつかんでいくという道を選ぶ。その道は神秘主義的なひとっ跳びではなく、最終章のタイトルにあるように、「徒歩の旅」でなければならない。
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賀正

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