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独文独歩 10

 クライスト
 『ミヒァエル・コールハース』

 Heinrich von Kleist, 1777-1811
 Michael Kohlhaas, 1810

 狂気の原因を二種類に分けるならば、感情が強すぎるか、理性が強すぎるかである。みずからの気分を外的な原則によって決して抑制しないヒステリー女が前者で、正義の観念への思い込みに強迫されて一切の臨機応変さを失ったパラノイア男が後者だ。
 馬商人ミヒァエル・コールハースは、中世末期のドイツに訴訟権という近代的な金科玉条を振りかざして、それが通じないとブチ切れてザクセン全土にテロを起こすキチガイであり、まさしく理性の過剰が生んだ近代的パラノイアである。ブランデンブルク領とザクセン領の国境エルベ川一帯を世襲する、無法な気まぐれドラ息子のユンカー(所領貴族)であるトロンカが、コールハースから不当に通行税を取り立て、彼の馬をこき使い、彼の下男ヘルゼをボコボコにする。トロンカの親戚が宮廷にいるのでザクセン裁判所はあっちの味方だ。この時代なら泣き寝入りするより仕方がない程度の事件なのだが、正義感の強いコールハースはブランデンブルクの宮廷に直訴、妻も献身的に色仕掛けしに行く。しかし妻は死に訴訟はむなしく却下。「権利」を守らない国には金輪際いたくないと、みずから「国家や世界の制約を受けず、神のみに服従を誓った男」を称したコールハースは寄せ集めのならず者部隊を作って国中に放火し、マルティン・ルターに直々に諭されて彼の熱がおさまるまでそれは続く。
 要するに悪と戦おうと立ち上がった正義の主人公が、張り切り過ぎて却ってみずから悪になってしまうという話であり、主人公かわいそう頑張れという感情移入ではなく、おいおいそれはやり過ぎだろうという距離を置いた見方を読者に要求しています。
 コールハースの妻にそっくりのジプシー占星術師の女が出てくる後半は、この物語の元ネタの写本にも存在しないクライストの創作で、それまでのテーマを全く無視した謎のエピソードとして賛否両論らしい。ザクセンの運命が記された予言の入ったカプセルをジプシー女がなぜかコールハースに渡し、それがお守りとなってなぜか彼を安心させる。ザクセン選帝侯は何とかコールハースの死刑判決を撤回して箱を手に入れようとするが、秘密は最期まで守られる。正義を貫徹するという男性原理の象徴であるコールハースを、獄中訪問までしていまわの際に慰める役のおばさんジプシーは、生命の保持という女性原理の象徴なのだと、ものの本には書いてありました。
 だからこの作品のテーマは何かと問われても一概に言い難く、中世的な身分制と近代的権利との対立、領邦どうしのややこしい力関係、王権と教権の並立、即物的で乾いた年代記とロマン主義的な神秘性の混在、男性原理と女性原理、クライスト自身の葛藤、何でも取り出せそうなものです。
 カントの判断力批判を読んで理性万能主義の夢が打ち砕かれ、革命後のパリを目の当たりにしてルソーの思想とのあまりの乖離に幻滅してから、クライストの主要な作品は生まれています。ゲーテと同時代人にして作風は対極、二十世紀になってようやく見直された破滅型天才タイプの作家で、フランツ・カフカはこの作品を十回以上読み直していたそう。
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