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独文独歩 24

 フケー
 『ウンディーネ』

 Friedrich de la Motte Fouqué, 1777-1843
 Undine, 1811

 湖水と森にはさまれた自然豊かな岬に、漁師の老夫婦のもとで、ウンディーネという異教風の不思議な娘が暮らしていた。宿を乞うてきた騎士フルトブラントが、洪水で足止めを食っているあいだに彼女と恋仲になり、その家で結婚する。すると嵐もおさまったので、二人は騎士の仕える領主の城へ行くが、道中ずっと白服を着た男に付きまとわれる。それはウンディーネの伯父キューレボルンであり、魂のない水の精である彼女に魂を得させてやるため、人間と結婚するよう事態を仕向けた張本人であった。城ではフルトブラントを森に向かわせた貴婦人ベルタルダが、彼への恋心のため内心複雑ながらも二人を迎える。
 しかし時が経つうちに、フルトブラントの心はベルタルダに移っていく――ベルタルダは実は漁師夫婦の、溺死したと思われていた一人娘であった。伯父キューレボルンは水害によってベルタルダを殺そうとおせっかいを働き、心やさしいウンディーネはそれをやめさせようとするが、最後にはベルタルダに贈った首飾りを水にとられてフルトブラントの堪忍袋の緒が切れ、水中族に帰れ、と妻に宣告する。ベルタルダと再婚したフルトブラントは、泉から再び現れたウンディーネに「涙で」殺される。操を守らなかった彼への復讐を止めることはできなかったのである。

 精霊と人のあいだに立つ

 水の力で災いをもたらしたり、人間を殺めようとするのは伯父キューレボルンの役に任されており、ウンディーネはそれゆえ恋敵にすら何の悪意もない天衣無縫の女性となっている。清純さと危険さを併せ持つ霊的な存在を描き出すにあたって、両者をはっきり分けるこの役割分担は非常に有効である。ウンディーネとキューレボルンはこのように同じ自然的存在の裏表であるといえる。
 一方でウンディーネはベルタルダとも、こちらは人間的存在として対をなしている。ベルタルダのいなくなった日にウンディーネは老夫婦に拾われる。ベルタルダへの恋情のためにフルトブラントは森に迷い、その結果ウンディーネのもとにたどり着く。真相を告げられて貴婦人から漁師の娘へ転落したベルタルダに、ウンディーネと結婚したはずのフルトブラントがしだいに心を移す――このように、両者の交替は幾度にもわたり行われる。
 自然的存在としてのウンディーネとキューレボルン、人間としてのウンディーネとベルタルダ、この二対のペアの両方に属しているということこそ、水の精であり人間でもあるウンディーネの立ち位置を表すものである。ウンディーネは人間との結婚によって魂を得てからも、伯父キューレボルンが代表する自然の力から逃れられない。水の精は水の精であり、ベルタルダのように普通の人間として愛されることはできないのだ。
 しかし彼女は、自分が人間の愛を知らぬ魂のないモノから、一度愛されて魂のある女となったことを、後悔してはいない。キューレボルンに対して、むしろ魂があって「幸福の涙」を流せるのを、誇らしく思うのだと告げる。

  「こうして水の中に住んではいますけれど、私は魂を持って来たのです。だからこそ泣くこともできます。もちろんあなたには、この涙がどんなものか、まったくわからないでしょう。これは幸福の涙です。」

 これに対して魂のないキューレボルンは、再婚の復讐はせずにいられないだろうと告げ、実際その通りになるのだが、それは彼女の憎しみではない。ウンディーネは愛した者の墓のまわりで、小さな池となって彼を抱きかかえているのである。
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