独文独歩 36


 ゲーテ『ファウスト』第一部
 ――メフィストフェレスとの対話を中心に

 0 序

 ゲーテ『ファウスト』の第一部を、とりわけファウストとメフィストフェレスとの会話に注目して取り扱う。情熱的にあらゆるものを求める人間ファウストと、シニカルにすべてを否定しつつも彼の情熱の実現を手助けする悪魔メフィストフェレスとの意見の対立は、人間の高貴と悲惨、人間への信頼と冷笑、清い愛とみだらな快楽、といった、人間が人間について語るときに必ず現れる対立をそのまま表しており、ゆえにどの場面をとっても、どちらの言い分にも一理あり、どちらの言い分にも欠点がある。
 1では考究の材料としてトーマス・マンのファウスト論を軽く紹介し、2では悪魔との出会いと契約に至るまでの過程が、じつは一筋縄ではいかないことに注目する。そして3では重要な契約の場面での、二人の主張の対立を(マンの図式を参考にして)検討する。4ではグレートヒェン悲劇のいくつかの場面における、ファウストとメフィストフェレスの緊張をはらんだ興味深い掛け合いを、細かく読んでいきたい。

 1 トーマス・マンの『ファウスト』講義

 トーマス・マンは1938年、アメリカのプリンストン大学で、ゲーテの『ファウスト』について講義を行った。彼が彼自身の『ファウストゥス博士』を書きはじめる(1943)より5年前のことである。講義の中ではさまざまな問題が展開されているが、ここではとくに後半の、ファウストと悪魔との関係についての意見に注目して、以下に紹介する。
 マンはファウストを、ゲーテ自身の若さが投影された情熱的で真面目な若者として見た上で、それに対して批判的な距離を取ったイロニーの表れとしてメフィストフェレスを見ている。飽くなき絶対性の探求者という、自分に似て思い上がった若々しいファウストを、冷笑的に突き放して相対化するために悪魔は生まれ、皮肉で冷静な、世故に長けた現実家として、浮世で遊び慣れていないファウストの世話係として、軽快に立ち回る。そしてこの神的熱狂と悪魔的イロニーとの二重性こそ、ゲーテ自身の創造性の源泉なのだ、という。(S.479-480)この点において悪魔は、悪役というよりもからかい役であり、血気にはやるファウストに冷静さと現実的な手段を与えてくれる、彼の理想の実現の味方であるともいえる。
 しかし、彼との共働によってグレートヒェンの破滅が起こり、深い情愛に満ちた愛は、罪と絶望に終わる。恋は、そこに潜む霊的なものと獣的なものの二重性ゆえに、「人間のもつ最善のものを食いものにし、それを卑しい道へ向わせる悪魔の仕事が、最もやりやすい場所である」。それゆえ、悪魔と結託したことから帰結する悲劇は第一部においてはすべてこのグレートヒェン悲劇に濃縮される。しかし、ファウスト自身はたんに一時の官能におぼれて、街の女の子を食い物にしたかったのではない。彼の考える高貴で神的な官能と、悪魔の思う官能とは違う。人間の努力する精神の高貴さをけっして理解しない悪魔が相手では、契約の時点で話が根本的に食い違うことになるのである。(S.494-495)
 このようにメフィストフェレスは、一方でファウストが人間らしく生きるための味方であり、もう一方ではファウストを悲劇に陥れる、人間性の敵でもある。講義全体は、ナチスに抗するという時代背景もあって、悪魔性にたいする人間の「善意」の勝利を信じようという呼びかけで終わっているが、よく注目してみると、マンはけっして悪魔をたんなる悪役として見ているのではない。理想家イコール善、現世家イコール悪、という等式ほど単純なものもないだろう。ファウストが単なる善人ではないように、メフィストも単なる悪魔ではないのだ。

 2 契約に至るまで

 ゲーテのファウストは、知識の虚しさに絶望してすぐに悪魔と契約したのではない。メフィストの出る前にすでに、絶望とそこからの救済という、一連の流れがある。契約は、いちど絶望から立ち直った後に行われるのだ。
 絶望のきっかけは、自ら望んで召喚したGeistの巨大さに耐えられず、自分が神と等しくなれる、という思い上がりを、完全に打ち砕かれたことによる。(512-3行:Du gleichst dem Geist den du begreifst, / Nicht mir!)いくら永遠を求めても、時のうずまきに巻き込まれてしまうだけで、決して神と等しくなれないことを嘆き(640-652行)、太陽に背を向けて、フラスコから毒を飲もうとする。そこにちょうど、復活祭初日の天使の合唱が響く。もう信仰は捨てたはずなのに、子供のころから親しんだ歌を耳にすることで、再び人生へと呼びさまされるのである。(769-770行:Und doch, an diesen Klang von Jugend auf gewöhnt, / Ruft er auch jetzt zurück mich in das Leben.)(784行:Die Träne quillt, die Erde hat mich wieder!)そして嫌がるワーグナーとともに復活祭の賑やかな町に出て、春もようの中の踊りや歌を素直に楽しみにいくのだ。
 この過程を考慮すれば、悪魔と契約する前のファウストは、やぶれかぶれの堕落を求める人間ではなく、自殺の欲求を乗り越え、再びよく生きることを決意した、主体的な人間である、といえる――だろうか。メフィストの初登場シーンまではそうかもしれない。しかし、メフィストが二度目に現れ、本式の契約をする場面の様子を見ると、必ずしもそうとも言えない。続きを見てみよう。
 復活祭の喧噪のなかに居たむく犬をファウストは部屋までつれて帰り、そして聖書の翻訳をしはじめると、メフィストフェレスが旅の大学生姿であらわれる。「常に悪を欲して常に善をなす力の一部分です」「わたしは常に否定する霊です」と自己紹介するメフィストフェレスは、さっそくその虚無主義を披歴する。(1336-1358行)彼の代表する闇こそが原初のすべてであり、光はいくら闇と争っても、物体に依存しているゆえに、物体とともに滅びるのだ、だから頑張って無に帰そうとしているのだと言う。それに抗してファウストは、冷たい悪魔の拳が振り下ろされても、「絶えず治癒し創造する力」が必ず勝利するから、いくら悪魔が破壊しても無駄だと言う。(1379-1384行)このように、一度目の邂逅ですぐに両者の信ずるところが大まかに提示され、ぶつけあわされている。そして悪魔はファウストを幻で眠らせて一旦去るが、その直後に二度目の訪問をし、そこで契約が行われる。
 なぜ悪魔は一度去ったのだろうか? ファウストの様子をみると、一度目の復活祭帰りで生き生きした様子とは裏腹に、二度目はかなり意気消沈していて、再び死を望んでいるようだ。(1576-1577行:O wär’ ich vor des hohen Geistes Kraft / Entzückt, entseelt dahin gesunken!)そして、死ぬのを思いとどまらせた復活祭初日の合唱は、欺きだったと言い(1583-86行)、この世の現象や希望や恋を一緒くたに呪い始める(1606行まで)。この気の塞ぎようは、一度目の出会いで悪魔の幻に誑かされたことが原因だとも言えようが(1526-1529行)、それにしても突発的でかなり情緒不安定である。メフィストはファウストの心が弱っているタイミングを見計らって再訪問したのではなかろうか?

 3 契約の場面の対話

 メフィストはファウストの自暴自棄につけこみ、契約すれば「どんな人間も見たことのないようなものを見せる」(1674行)と言う。これは現世的な享楽を提供することである。しかしファウストは、悪魔のくれるものなど大したものでないだろう、と言い、自分は断じて単なる快楽を求めるのではない、としきりに主張する。ファウストの主張は以下のようだ。

 Ward eines Menschen Geist, in seinem hohen Streben,
 Von deinesgleichen je gefaßt!
 「高貴な努力を続けるひとりの人間の魂が、お前らに分かるものか!」(1676-1677行目)

 Kannst du mich mit Genuß betriegen:
 Das sei für mich der letzte Tag!
 Die Wette biet’ ich!
 「お前が俺を享楽でたぶらかすことができたら、それが俺の最後の日だ!賭けをしよう」(1696-1698行目)

 Du hörest ja, von Freud’ ist nicht die Rede.
 Dem Taumel weih’ ich mich, dem schmerzlichsten Genuß,
 Verliebtem Haß, erquickendem Verdruß.
 「さっきも言った通り、快楽が欲しいのではないんだ。陶酔に身を委ねたいんだ、最も痛ましい享楽に、恋にともなう嫌悪に、爽快にともなう吐き気に身を委ねたいんだ。」(1765-1767行目)

 つまり、自分はどんな享楽にも満足して負けることはない、快楽主義を取るのではなく、恋に必ず伴う苦しい思いを味わい、生きている実感を手に入れたいのだ、それが高貴な人間の求めるものなのだ、という。享楽そのものが目的ではなく、(マンの言う通り)享楽と張り合うことが目的なのである。もっともそれは、結局は悪魔の提供物を味わうことに変わりはないともいえるし、ファウストも快楽に溺れたいだけなのではと思うふしもある。

 Laß in den Tiefen der Sinnlichkeit
 Uns glühende Leidenschaften stillen!
 「官能の深みに潜って、焼けつく情熱を冷まさせてくれ!」(1750-1751行目)

 しかしやはり、1765行目からのファウストの高らかに響く宣言には注目しておくべきだろう。

 Und was der ganzen Menschheit zugeteilt ist,
 Will ich in meinem innern Selbst genießen,
 「人類全体に与えられたものを、自分自身の内部で味わい尽くしたい」(1770-1771行)

 つまり、可能な限り人間的に生きつくすことが、彼の目的である。人間の喜怒哀楽をみずから味わい尽くし、それによって自分の自己を人類の自己に拡大することを求める。個人的な享楽ではなく、全人となることをである。(1774-1775行Und so mein eigen Selbst zu ihrem Selbst erweitern, / Und, wie sie selbst, am End’ auch ich zerscheitern.)そして悪魔はその手助けをする存在なのだ。
 では、その悪魔が享楽について語る口振りはどうであろうか。彼はまず、ファウストの求める「全体」は、神にしかこなせない物であるからあきらめろ、と言う(1780-1781行Glaub’ unser einem, dieses Ganze / Ist nur für einen Gott gemacht!)。そして、時間は限られているから(1787行Die Zeit ist kurz, die Kunst ist lang.)、「詩人」と結託して、策略でもって恋愛を上手く成功させる術を学びなさいと言う。以下の引用を見てみよう。

 Laßt ihn euch das Geheimnis finden,
 Großmut und Arglist zu verbinden,
 Und euch, mit warmen Jugendtrieben,
 Nach einem Plane, zu verlieben.
 「詩人に秘訣を教えてもらいなさい、高潔さと悪だくみとを結びつける秘訣を、そして、青春の熱い衝動をもちながらも、計画通りに、恋ができるような秘訣を。」(1796-1799行)

 Ich sag es dir: ein Kerl, der spekuliert,
 ist wie ein Tier, auf dürrer Heide
 Von einem bösem Geist im Kreis herum geführt,
 Und rings umher liegt schöne grüne Weide.
 「言っておきますよ。思索なんてする奴は、不毛な牧草地で悪い霊にそそのかされてぐるぐる歩き回っている動物みたいなもんですよ。すぐその周りにはすてきな緑の牧草があるって言うのにね。」(1830-1833行)

 このようにメフィストフェレスは、情熱にはやるはいいものの、頭だけで考えて喋ってばかりで、まだ何も行動に移していない思索家ファウストに対して、発破をかけている。そして恋の実現のためには、巧妙な悪だくみが必要であるのだよと、現実的なアドバイスを予告するのである。ただし、ファウストの求める、「全体」に近づき神と等しくなることは無理だ、というのが前提である。
 メフィストの提供する現世の享楽は、ファウストにとって崇高なものへ邁進するための軽蔑すべき手段でしかない。逆に、ファウストのそのような「全体を求める」情熱は、現世家のメフィストには非現実的で滑稽に映る。ここに両者の言い分の食い違いが起因するのだ。

 4 グレートヒェン悲劇の3つの場面における対話

 Du übersinnlicher, sinnlicher Freier「官能を超越した(つもりで)、官能で恋する者」(3534行目)
 これはメフィストフェレスがファウストをからかって呼ぶときの言葉である。ファウストの心の矛盾を表しているこの呼び名は同時にそのまま、マルガレーテとの恋愛関係における人間と悪魔との視点の違いをも表している。すなわちファウストは官能を超越した崇高な愛を志向し、一方メフィストは肉体関係を実現させようとして恋の策略を取り仕切るのである。以下ではその端的な例を3つの場面に即して考察する。

 (1)二人がマルガレーテの部屋に忍び込むAbendのシーンを見てみよう。ファウストは部屋に入るとふと沈黙し、一人にしてくれと言ってメフィストを退場させ、恋の悩みの独白を始める。少女の部屋の中の、椅子やテーブルなどのつつましやかな家具類を目にして彼は、少女が家庭的幸福の中で育ってきたことに思いを馳せる。
 Wie atmet rings Gefühl der Stille,
 Der Ordnung, der Zufriedenheit!
 In dieser Armut welche Fülle!
 In diesem Kerker welche Seligkeit! (2691-2694行目)
 「静けさと、秩序と、平和さの感情が、なんとまあ辺りに息づいていることだろう!この貧しさの中に、何という充実が、このみすぼらしい部屋の中に、何という祝福があることだろう!」
 欲望にそそのかされて貧しい庶民の少女の部屋に忍び込んだはずのエリート学者ファウストは、そこを天国Himmelreich(2708行目)のように清らかで祝福された場所だと感じ、マルガレーテのベッドを見ては彼女の神聖な無垢さに思いを馳せる。そして甘い感動のなかで、彼をこの部屋へ導いた淫らで邪な動機はどこかへ消え去ってしまうのである。(2717-2728行目)
 さてメフィストはどうかといえば、ファウストの独白の直前につぶやく「どんな女の子だってこんなにrein(清潔/純潔)にしていないよ」(2686行目)というセリフがすでに、彼の独白に冷や水を浴びせるような卑俗化である。そして、陶然としていて小箱の贈り物の計画にも乗り気でないファウスト(2737行目)に対して、私はあの娘をあなたになびかせるため頑張っているのに、あなたときたら物理学や形而上学が突然現れたような風じゃないですか(2745-2752行目)、と言うときも、事情は同じである。少女の育った平和と秩序に感動しているときのファウストからは、その平和をかき乱すような行動をする意欲は一切奪われてしまっている。だから悪魔がこのようにファウストの鈍くささを指摘して急かそうとしなければ、恋の冒険の計画は挫折していたであろう。

 (2)次はWald und Höhleの場面、マルガレーテと結ばれた後で、彼女の平和を乱して苦しめてしまっていることへの後悔に苛まれたファウストが、彼女から逃げて、大自然の中をさまよっている場面を検討しよう。大地の霊によって自分は自然を享受する力を与えられたが、しかし自然を享受して神々に近づくに際して、悪魔という道連れをも同時に与えられたのだ、とファウストは嘆く。
 今回ファウストが生の価値を全身で感じ取り、同時にメフィストがその価値を切り下げる対象は、乙女の部屋ではなくて人里離れた自然の森である。森をさまようと新しい生の力が湧いてくるのだ、お前には分かるまいというファウスト(3278-3279行目)に対して、メフィストは、そのような自然との交流になど何の意味もない、まだ学者気質が残っていますね(3277行目)と言って、彼にマルガレーテの嘆きを思い出させ、欲望をそそらせてやる。だが、この二つの事項、ファウストが自然から生の力を受け取る神々しい幸福と、悪魔によって駆り立てられるはげしい欲望の苦しみとは、実際にはやはり相通じているのである。3240-3250行目のファウストと、3282-3292行目のメフィスト、双方の台詞からもそれが読み取れる。メフィストの方を見てみよう。
 (メフィスト、3286-3292行目)
 Der Erde Mark mit Ahnungsdrang durchwühlen,
 Alle sechs Tagenwerk’ im Busen fühlen,
 In stolzer Kraft ich weiß nicht was genießen,
 Bald liebewonniglich in alles überfließen,
 Verschwunden ganz der Erdensohn,
 Und dann die hohe Intuition—
        Mit einer Gebärde
 Ich darf nicht sagen wie— zu schließen.
 「予感の力で大地の髄を掘りかえし、神の六日間の業を胸に感じて、強い力のなかで何を味わっているのだかも分からないまま、やがて愛の愉悦で万物のなかに溶け込んでしまい、地上の子は完全に消え去ってしまい、そしてそれから、崇高な直観とやらに――(身ぶりをして)申し上げにくいですが――けりをつけるわけですね。」
 全集の注によると、ここでの身振りは男根をかたどった猥褻な身振りだということらしい。現世的地上的なものを逃れて神的な自然を享受しているつもりで、結局は卑しい欲望に立ち返るのだと言いたいのである。「官能を超越した(つもりで)、官能で恋する者」という嘲笑と同じものが、ここにも響いている。

 (3)最後に、マルガレーテが子殺しによって牢獄に繋がれたと知って絶望しているファウストを描いたTrüber Tagの散文の場面を考察する。この場面は前の二つとはちがって、悪魔の下世話さが前面に出ることはない。人間の高貴さは、ファウストの倫理的な怒りとして現れるが、悪魔はそれに対して、悪いのはあなた自身なのだから私に当たり散らすのはおかしい、と冷静に言い放つのだ。ファウストは彼女の破滅が自分のせいだとは決して思っていず、悪魔を立て続けにののしって責める。彼の怒りは、人間が罪によって苦しみ滅びること、それが彼女一人では足らずに、多くの人間の悲惨として繰り返され続けることへ向けられた怒り、すなわち、終わることのない罪と罰の繰り返しへの憤怒である。
 (22-26行目)von keiner Menschenseele zu fassen, daß mehr als ein Geschöpf in die Tiefe dieses Elendes versank, daß nicht das erste genugtat für die Schuld aller übrigen in seiner windenden Todesnot vor den Augen des ewig Verzeihenden!「人間の心では決して理解できない、こんな悲惨のどん底に落ちる人がひとりではないだなんて。最初の一人で他の全員の罪をつぐなうのに十分ではないなんて、のたうちまわる死の苦しみの中、永遠に赦す者の眼の前にいるというのに!」
 対照的に悪魔は、言葉少なできわめて冷静であるが、自分はファウストの言う通りに手伝ってやっただけで、元はと言えば全部ファウストが悪いのだ、と言う。(30-34行目)Warum machst du Gemeinschaft mit uns, wenn du sie nicht durchführen kannst? Willst fliegen und bist vor’m Schwindel nicht sicher? Drangen wir uns dir auf, oder du dich uns?「やり通せないというんだったら、どうして我々と手を組んだんですか? 空は飛びたいけど目まいがしてくらくらするんですか? 我々があなたに話を持ちかけたのか、あなたが我々にか、どっちでしたっけ?」(45行目)Wer war’s, der sie in’s Verderben stürzte? Ich oder du?「誰でしたっけ、彼女を破滅に突き落としたのは。私ですか、あなたですか?」
 ファウストは、人間の裁きの手からマルガレーテを救い出そうと試みるときも、やはり悪魔メフィストに手伝ってもらわなければ実行することができない。しかしその救出計画は、「私、あなたが怖いわ」とファウスト自身が彼女に拒否されることで失敗する。これもまた、破滅の原因は悪魔にではなく、ファウスト自身に存するという皮肉を表している。

 5 まとめ・参考文献

 ファウストは、生の享受を求め、「人類全体に与えられたものを、自分自身の内部で味わい尽く」すために、高貴な努力を続ける人間であると自身を規定している。しかしその努力を進めるためには、どうしても悪魔の力を借りねばならないがゆえに、実現には必ず悪がともなう。彼がグレートヒェン悲劇をすべて悪魔のせいにするのは、自分の崇高な目的と、招いた悲惨な結果とを、直接に結び付けたくないからであり、悪魔が人間とは独立して形象化されている以上は、正しい言い分でもある。逆にメフィストが、私はあなたの手伝いをしただけなのだから、悪いのはあなただ、というとき、高貴さと卑劣さは、善き意図と悪しき結果は、すなわち人間存在と悪魔存在は、実のところ根本的につながっていることが改めて示唆され、ファウストの高貴さは疑わしいものにされる。そして翻ってみれば、ファウストとメフィストのすべての会話は、両者の徹底的な対立を表すことによって、まさにその二つの側面が同一のものから由来していることの矛盾を痛感させるようになっているのである。

 カッコ内の行数と原文引用は、Deutscher Klassiker Verlagのゲーテ全集を参照した。翻訳は、ゲーテ全集第二巻(大山定一訳、昭和35年、人文書院)を参考に自分で訳した。トーマス・マンの講演の要約とページ数は、日本語の新潮社版トーマス・マン全集Ⅸ巻を基にした。