独文独歩 50

 トーマス・マン(Thomas Mann, 1875-1955)は、六歳年下でウィーン生まれのユダヤ系作家シュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig, 1881-1942)と、1914年以来親交を結んでいた。
 のちに二人はナチスを逃れ、アメリカ大陸へと亡命するが、マンが終戦に至るまで積極的にではないにせよ反ナチス運動に身を投じていたのに対し、ツヴァイクは思想対立の激しくなってゆく世界に耐えられず、1942年にブラジルで妻と心中自殺した。
 かれの自殺は、抵抗運動からの柔弱な逃避・ヒトラー支配への無力な屈服として、他の亡命者たちに冷ややかに受け止められた。マンもその一人であったとされるが、かれの内心は複雑であった。自分も元来は「非政治的人間」であって、むやみに悪に立ち向かって戦うよりは、ほんとうは芸術家の超党派性に留まっていたかったからである。俗世の争いを拒否する者には、ある種の一貫性、高潔さがある。十年後の1952年にかれが雑誌に求められて書いた弔辞にも、無力であるが気高くもあるツヴァイクへの両面的な評価が読み取れる。以下の試訳はその一部である。


 『シュテファン・ツヴァイクの十周忌に寄せて』(抄訳)
 Thomas Mann: Stefan Zweig zum zehnten Todestag. 1952

 シュテファン・ツヴァイクが私たちから去ってしまったあの日が、十度目に再び還ってきました。あのショッキングな報せが届いたときに私を満たした嘆きが、いま再び心に呼び覚まされるようです。実を言えば、当時の私は彼のした行為のせいで、故人に不満を持ったのでした。その行為のうちに私が見たものは、私たち亡命者がみな共にする運命からの逃亡であり、そしてドイツを制圧した輩たちにとってのひとつの勝利であったからです。制圧者たちのおぞましい「歴史性」のために、ここで一人の非常な重要人物が生贄にされたのだという風に思われたのです。時が経って私は、彼の別離について他の、もっと理解のある考え方ができるようになりました。彼の人生と、全世界を熱中させるほどの彼の業績のために私が常に抱いてきた尊敬の念を、もはや一瞬たりともこの死は断つことはできません。
 Die zehnte Wiederkehr des Tages, an dem Stefan Zweig von uns ging, ruft den ganzen Kummer wieder in mir wach, der mich beim Eintreffen jener erschütternden Nachricht erfüllte. Ich gestehe, daß ich damals mit dem Verewigten gehadert habe wegen seiner Tat, in der ich etwas wie eine Desertion von dem uns allen gemeinsamen Emigrantenschicksal und eine Triumph für die Beherrscher Deutschlands sah, deren abscheulicher ›Geschichtlichkeit‹ hier ein besonders prominentes Opfer zu fallen schien. Seitdem habe ich anders und verstehender über seinen Abschied zu denken gelernt, und keinen Augenblick mehr vermag dieser Hingang der Ehrerbietung Abbruch zu tun, die ich für sein Leben, seine die ganze Welt beschäftigende Leistung immer gehegt habe.

 彼の書いた大部の回想録である『昨日の世界』を読んでみれば 、この外向的でありながらもデリケートで、およそ平和と、友情と、愛と、自由な精神的交流に依って立つ人間であった彼が、1914年にもう終末の刻を迎えていた、消え去ってゆく世界に、故郷としてはいかに固く結びつけられていたか、いかに彼の全実存が、その消えゆく世界によって条件づけられていたかが、よく分かります。だから彼は、憎悪の叫び声、敵意に満ちた交流の遮断、野蛮と化す不安、今日の私たちをも取り囲んでいるこれらのものに満ち満ちた世界の中では、もう生き続けたいとも思わず、また生き続けられもしなかったのです。そのことは、彼にとってはほとんど恥辱となりえません。彼の伴侶が回復の見込みのない病に苦しんでいたこと、それが彼女を、彼との最期の、苦渋に満ちた約束へと向かわせたこと――そのことを語るつもりも、決してありません。
 Liest man sein großes Erinnerungsbuch ›Die Welt von Gestern‹, so begreift man ganz, wie sehr dieser so expansive wie zarte, ganz auf Frieden, Freundschaft, Liebe, freien geistigen Austausch gestellte Mensch heimatlich gebunden war an die entschwundene Welt, deren Endstunde schon 1914 geschlagen hatte; wie ganz seine Existenz durch sie bedingt war und wie wenig es ihm zur Schande gereicht, daß er in der Welt voller Haßgeschrei, feindlicher Absperrung und brutalisierender Angst, die uns heute umgibt, nicht fortleben wollte und konnte. von dem hoffnungslosen Leiden seiner Gefährtin, das sie zur letzten, schweren Verabredung mit ihm nur zu geneigt machte, rede ich nicht einmal.

 (約1ページ中略)
 [...]

 もう一つ言いたいことがあります――ある時には、彼のあまりに極端な、無制限の平和主義が、私を辛くさせたことがありました。ただ自分の何にも増して嫌悪する戦争さえそれによって避けられるのならば、悪が君臨することも許してしまう用意が彼にはあるように思われたのです。この問題は解決不可能なものです。しかし私たちは、善き戦争すらも悪しきものしかもたらさないということを身をもって知りました。爾来私は、彼の当時の態度について違ったふうに考えています――というよりはむしろ、違ったふうに考えようと試みているのです。
 彼の文学的名声は、かのもう一人の偉大なる、ロッテルダム生まれの平和主義者のそれにも比するほどの、伝説へと高められました。しかし、あの穏やかで、心からの善意を持った人を思い出すときには、いつも愛がそこに伴うことでしょう。
 Ich will noch eines sagen: Es gab Zeiten, wo sein radikaler, sein unbedingter Pazifismus mich gequält hat. Er schien bereit, die Herrschaft des Bösen zuzulassen, wenn nur das ihm über alles Verhaßte, der Krieg, dadurch vermieden wurde. Das Problem ist unlösbar. Aber seitdem wir erfahren haben, wie auch ein guter Krieg nichts als Böses zeitigt, denke ich anders über seine Haltung von damals – oder versuche doch, anders darüber zu denken.
 Sein literarischer Ruhm wird zur Sage werden, wie der jenes anderen großen Pazifisten, des Rotterdamers. Aber Liebe wird dem Andenken dieses Sanften, Grundgütigen bleiben.

 In: Rede und Antwort: Gesammelte Werke in Einzelbänden. Frankfurter Ausgabe. S.Fischer Verlag. S.477-9