スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

監視についての考察

 ある方からこんな意見をいただいた。


 『見張り役がいるのだから、見張られ役もいたっていいと思う。これを拡大すると、プールの監視員のバイトがあるのだから、監視され員のバイトがあってもいいと思った。監視され員のための講習とか開けば安全面も問題ない。』


 興味深い話題である。人に対して働きかける役には必ず「する側」と「される側」が必要だ。いじり役といじられ役、罵倒する役と罵倒される役、やられ役がいるならやる役が必ず居る(ただし、時にそれは不特定ないし多数の人物となりうるが)。人に対して働きかける場合、どちらか片方が抜け落ちていたら話にならないのである。よって、見張り役には見張られ役、プールの監視員には監視され員がどうしても必要なのだ。
 さて、監視され員ができた場合のことを考えてみよう。ここで言う「監視され員」とは、監視員に監視される役の人物である。このとき、ある重大な問題が発生する。それは、監視員と監視され員によって、お互いの仕事が完結してしまうということだ。監視員はプールサイドに突っ立っている監視され員を監視していれば良いので、本来監視するべきプールに入っている人々が監視されず、飛び込みし放題かつプールサイド走り放題となってしまう。これは由々しき問題である。
 しかしこれを解決するためにも方法はある。「監視され員の講習を受けなければプールに入れない」という決まりをつくればよいのだ。プールに入る人はみな監視され員の資格を持っているので、皆手抜かりなく監視員に監視されることになり、本来の機能を果たす。これで全ての辻褄が合う。
 そうすると、最終的には「プロ水泳選手」=「プロ監視され員」ということになることもお分かりいただけるだろう。監視されることにかけては一流の選手たちが世界中からオリンピックに集まり、監視される美しさを競う熾烈な戦いを繰り広げるのはぜひとも観てみたいものだ。「町を歩けば防犯カメラに映らないことはない」といわれているイギリスなどの列強国、スパルタ式監視訓練で近年台頭してきた中国や韓国などの新たなるライバル国に、幼少時から親に監視の英才教育を受け続けてきた日本の選手たちは勝利できるのか。水泳は、監視社会と呼ばれる現代にふさわしい新時代のスポーツとなるであろう。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。