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やかん猫 2

 やかん猫 1 の続き

 それから我輩のやかん生活が始まった。我が忌々しい主人は、信じ難いことに、この我輩をやかん姿のまま居間に飾り、放ったらかしにしておいたのだ。時々気が向いたかのように魚やら何やらを与えられるだけで、そのたびに我輩は恨みがましい目線を主人に向けたが、その執拗なる訴えも完全に無視して、にやにや笑いながら馬鹿にしたように餌をよこすのである。そうして我輩は朝から晩まで首を突き出して空中を呆然と眺めるか、やかんに潜り込んで現実逃避に走るかの二択しかない生活を余儀なくされた。
 細君の方は我輩を可哀想と思うほどの理性がまだあったらしく、出してやりなさいよと時折主人を説得しようとするのが聞こえて、そのたびに我輩は念を送ったが、夫は頑として拒み続けるのである。その理由がひどい。
「我が家には本はあっても、愉快な物品はこれといって無かった。こういう洒落た品がひとつあるだけで、居間に趣きが添えられるだろう。それに、考えて見るが好い。やかん猫などというオブジエは他のどの家庭にもあるまい。私はこういうものが前から欲しかったのだよ」
 どうやら我輩はオブジエ扱いされているようなのだ。猫を何だと思っているのか。 我輩はある時は主人に裏切られたと感じて一晩中やかんの中で啜り泣いた。またある時は主人への復讐心に駆り立てられ、爪を研ぎながら一夜を明かした。しかし爪を研いだところで、前足は一寸しかやかんから出すことができないのだからどうしようもない。では最後の武器は何か。歯である。
 その日の晩、我輩は、二人が食事をするのを恨めしげに眺めていたが、主人は旧友とばったり会ってどうのこうのの話にかかりきりで、細君も聴き入っていて、我輩の食事のことをすっかり忘れているようだった。食事が済むと、主人はさっさと書斎に戻って行きおったが、細君がふと我輩の方を見て、ようやく気づいたらしく、
「貴方、やかん猫さんの御飯がまだよ」
 我輩の名前はやかん猫で決定らしい。我輩は細君にまでひどく侮辱された気がした。失望と怒りが入り乱れていた。そこに主人が降りてきて、晩飯の残りの魚切れを、やかんから首だけ出した我輩の口元にひょいと差し出した。
 我輩はすぐさま行動に出た。首をぬっと最大限まで前に突き出し、その勢いで我が悪魔のひ弱な人差し指を、猫生最大の恨みと憎しみをもってぐっと噛んだ。我輩の前歯が肉に刺さり、骨に当たって、血の味がした。そして悪魔の、耳がちぎれんばかりの醜悪なる絶叫だ。細君は青ざめ、慌てふためいて救急箱救急箱と狂人のように連呼しながらそれを探しに行った。悪魔は居間中を転げまわってなおも絶叫していた。我輩は復讐を果たしたという興奮で息を荒げながら、その無様な様子を見続けていた。
 勝った。我輩は悪魔に思い知らせてやったのだ。非常な満足感が我輩の全身を支配した。細君が戻ってきて手当てをしているが、主人は「痛い。痛いい」とこれまた狂人のように叫ぶ。静かであったこの家が、いともこう簡単に騒がしく醜くもなるものだろうか、と我輩はせせら笑ってそれを見下ろしていた。
 それに、なお良いことがある。これだけ思い知らせてやれば主人も、この忌々しいやかんから我輩を何とかして出してやろうとするだろう。かつて我輩を苦しめた悪魔が、我輩の為に目の前で悪戦苦闘する姿を間近で見ることが出来るのだ。・・・考えただけでも、ああ、何という至高の快楽!

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