独文独歩 5

 ヨーゼフ・ロート
 『果てしなき逃走』

 Joseph Roth, 1894-1939
 Die Flucht ohne Ende, 1927

 ロシア革命以後、社会主義に寄せる期待はヨーロッパでも高かった。世界恐慌でガタついた資本主義世界にとって、五カ年計画で政府主導の工業化を推し進めているソ連は輝いて見える。人のふり見てわがふり直し、ケインズの修正資本主義、フランクリン・ルーズベルトのニューディール政策につながって、国家が経済に介入するのもアリだなという世論は一般的になった。
 『果てしなき逃走』はそれより前に書かれた作品ですが、新聞特派員としてソ連の官僚主義な現実を見てきた作者は、すでに革命に幻滅してしまっている。オーストリアの将校トゥンダは大戦中ロシア軍に捕らえられて、赤軍の兵士として革命のただ中に身を投じる。しかし祖国での帰還兵としての栄達の道も閉ざされ、性格としてはどんな党派や思想にも与したくない、そんな物質的にも精神的にもニートな主人公にとってプロレタリアート思想など馴染めるはずもなく、ロシアを見捨てて許嫁イレーネの待つ故郷へと向かうが、君主国オーストリアは解体し、西欧世界の中にももはや居場所はなくなっている。

 彼は革命が目下必要とする以上の生命力を持っていた。自らの主張に生を順応させようとするその理論が必要とし得る以上の、自主性を持っていた。結局のところ、彼はヨーロッパ人だった。教養ある人たちがよく言うところの、「個人主義者」だった。生を存分に享受するためには、彼には複雑な境遇が必要だった。(…)倒壊の恐れが予感されながら、何百年もの耐久力が保証されている、そんな摩天楼の近くにいることが必要だった。彼は「現代人」(modelner Mensch)だった。
 
 だが僕はこのトゥンダの性格像を、西欧とソ連の両項から疎外された人間として読むのではなく、新説を提示しようと思う。すなわち、男性性を喪失した男として。
 軍人よりも音楽家になりたかったような出世コース拒否タイプの人間のくせに、その音楽家になった兄に食わせてもらっている無職の自分が後ろめたくて、貧乏は男らしくないとか、女性に金の無心をするなんて厭だという。作中には知り合った女性たちの美しさや性格についての記述が目立つし、革命軍に参加したのもナターシャという男まさりの活動家との愛のためだけ。追い求める許嫁イレーネの影は彼の中の理想像でしかなく、結婚してパリにいる現実のイレーネは彼の顔すら覚えていなかった。結局この小説は何を描きたいのかと考えると、甲斐性を失いきって男らしさに自信をなくしている男の話といってよいのでは。それは母国を失った者というテーマにもどこか繋がっているかもしれない。
 ロートもまた離散の民ユダヤ人であり、父性的な宗教原理と、包容的コミュニティへの母体回帰願望という裏表がある。作者の女嫌いと父性への憧れは指摘済みらしく、つまり残念ながら新説ではなかったのでした。