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独文独歩 6

 ホフマン
 『黄金の壺』

 E.T.A.Hoffmann, 1776-1822
 Der goldne Topf, 1814

 素人の文芸サークルの部誌を、斜め読みするのが好き。たいてい童話風の小品がひとつは載っている。メルヘンというのはとりあえず不思議なことが起こっていれば成立するし、論理的整合性もいらない。魔法使いうんぬんのモチーフは漫画やゲームにおけるコンテクストが豊富なので、説明が下手でもよそからの借り物で世界観を作れる。そして、短くても言い訳がつく。書きたくなる気持ちはよくわかるのである。
 自由度が高いからこそ芸術として完成させるのは難しいジャンルのはずで、高校生とかが考えなしにオシャレぶって書いてもスベるのは仕方がない。その点で『黄金の壺』、ノヴァーリスやシュレーゲル直系の後期ロマン派・ホフマンの自信作は、一見すると頭の中がお花畑としか思えないような部分にも、作者の思想が込められた手触りがちゃんとある。どんな文学が本物でなにが猿真似かをはっきり見分けるのは難しいけれど、一つ言えることは、すぐれたメルヘンに登場するモチーフはどれも必ず何かしらの象徴性を帯びていて、しかもそれが頭でっかちや露骨ではない形で表現されているということ。
hoffmann1.gif
 上の図が一番大きなテーマ。不運続きの大学生アンゼルムスが、霊界の存在である蛇の姿をしたぜルペンティーナに恋い焦がれ、その父で人間界と霊界を媒介しているリントホルストのもとで、奇妙な文字を筆写する仕事を通じて、彼女のいる楽園へ近づいていくという話です。
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 それに対応する現実世界の人々が上の三人。ヴェロニカは最初アンゼルムスが宮廷顧問官になるだろうという将来性に恋していたけれど、彼はあっちの世界に行ってしまって、代わりにその職についたへ―ルブラントと終盤で結ばれる。空想界の幸福がアンゼルムス、世俗の幸福がへ―ルブラントの辿る道ということです。
 ただし完全に対立するかというとそうでもない。アンゼルムスも当初は出世したかったのだけど、ことごとくツイてない、世渡りの才覚のないヤツだったから挫折したわけで(錯誤行為についての精神分析理論を使うと、そもそも世俗の成功なんて望んでいなかったとも言えそう)、一方へ―ルブラントもパウルマンに指摘されているように(第二の夜話)、詩的なもの、幻想への愛着はもっているほうだった。両者が区別できるのは、最終的に想像界へ完全に沈潜していくか、それとも現実の可愛い娘にその想像を投影して済ませるか、という違いにおいてです。アンゼルムスがその沈潜の過程でゼルペンティーナとヴェロニカをごっちゃにする(第九の夜話)ことからもそれが分かる。
hoffmann3.gif
 ヴェロニカもアンゼルムスを空想界への歩みから取り戻すために、リントホルストの敵である魔女(子供のころ世話になったリーゼばあやの姿をしている)と結託して、万策講じます。魔女というモチーフを使っておどろおどろしいことをやっている理由は、これがアンゼルムスの旅路を阻む現世の「誘惑」だということを表すためでしょう。
 ホフマン自身が恋多き人で、歌唱を教えていたユーリアという二十歳年下の娘に、妻のいる身で惚れてしまってひと悶着あり、その失恋直後の作品がこれなのだそうです。私小説みたいに表には絶対に出さなくても、メルヘンの形をとってその経験が昇華されているのかもしれない。

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