独文独歩 26

 ハインリヒ・マン
 『ウンラート教授』

 Luiz Heinlich Mann, 1871-1950
 Professor Unrat, 1905

 ギムナジウムの名物教師ウンラート(汚物)は、街中の人々に軽蔑され笑われている滑稽な男であり、当人は憎悪をもってそれに対しており、意地悪な授業によってクラスの生徒を落第させ、出世を妨害することだけに情熱を注いでいる。彼をあだ名ですら呼ばない生意気な文学少年ローマンが、女芸人ローザ・フレーリヒと淫行しているに違いないと思い込んで憤激し、下品なホールの楽屋へ忍び込むが、偶然ローザ本人と話すことになり、惚れてしまう。ローザの側も、鈍すぎて自分の浮気にも気づかないウンラートを、便利な金づるとして良いように使いつつも、遊び人という偏見をもたずに愛してくれるので誇らしくも思うようになる。二人は同居をはじめるが、そこで開かれるサロンでは、金を湯水のように使い、使わせ、ローザのカラダを武器に、町中の男たち、元・生徒たちの評判を次々に堕落させていき、他に娯楽のない小さな町は風紀紊乱の極みに達する。ウンラートにとってローザは、憎い人々を破滅させる道具である一方、ただ一人の愛する女でもあり、その葛藤に苦しみ、また財政的にも破綻していく。しかし最後は、彼女がローマンと情を通じたと信じ、絶望して彼の財布を盗んであっけなく逮捕される。
 小者で滑稽な、大衆蔑視的・ニーチェ的な権威主義者が、人々の欲望に付けこむ危険なアナーキストへと転生するというセンセーショナルな筋書きであるが、この「一暴君の末路」こそ、ヒトラーのファシズムとその没落を予言した書だとも言われている。また同時代的には、弟トーマス・マンの『ブッデンブローク』(1900)の終盤、ヘッセの『車輪の下』(1905)、ムージルの『寄宿生テルレスの混乱』(1906)など、学校小説が数多く書かれた時期でもあり、ギムナジウムが従来の静かな古典的教養から、プロイセンの小国家的権威主義(第二帝政時代、ヴィルヘルム2世)へと性質を悪化させていて、作家自身経験した学校での嫌な思い出を反映させたのだろうと言われている(マン兄弟は二人とも学校を中退している)。以上は訳者の今井敦の解説による。
 しがない一介の学校教師が、人々を本当に破滅させる力を掌握するのは、芸術を仕事にする女の魔性によってである。「学問」と「芸術」の両者が結合することは、それが高貴な理性と感性の美しい一致であれば褒めてもよさそうなものだが、ここでは学問も芸術も低級なものであり、しかもその一致がウンラートのような、社会に蔑まれ、歪んだ憎悪しか持っていない男の手に握られると、かえって破滅的な力をもたらすのである。
 楽屋に出入りする三人の生徒も魅力的だ。ローマンは実際のところドーラ夫人という人妻に横恋慕して自己満足的な憂鬱に浸っているいけ好かない文学青年である。ローザに惚れている無骨でマッチョイズム的な青年貴族フォン・エアツムは、楽屋で「ウンラートにまみれた」ローザを見て絶望する。ローザの目の前でウンラートにここぞとばかりに宿題の讃美歌を暗唱させられるシーンはとくに痛快である。一方プレイボーイの不良少年キーゼラックは影でとっくにローザと密通していたりする。どの脇役もウンラートと同じく滑稽に、戯画化されて、悪意を以て描かれているが、それだけに時おりの同情を誘うような場面がいっそう印象的である。