独文独歩 28

 ムージル
 『寄宿生テルレスの混乱』
 
 Robert Musil, 1880-1942
 Die Verwirrungen des Zöglings Törleß, 1906

 舞台は全寮制陸軍学校。インド哲学に心酔する理知的なバイネベルクと、ナポレオンが好きな行動派のライティング。両者は元ライバルだが行動を共にしていて、テルレスは影の参謀としてつるんでいる。テルレスは娼婦ボジェナのところにいるときも何も話さず、ずっとお母さんのことを考えているような空想癖の男の子である。
 女の子っぽい見た目で卑屈な性格のバジーニが、お金を盗んだかどで二人に屋根裏部屋で毎晩ムチで叩かれ、説教をされ、性的虐待を受けるようになる。やがては謎の催眠儀式の実験に使われたり、クラス全員の前で屈辱を与えられたりするが、校長への密告を促したテルレスのおかげですべて露見して解決、しかしテルレス自身は責任を問われることはなかったのである。
 人権を踏みにじられるバジーニにテルレスが並々ならぬ関心を寄せたのは、堕落願望のようなものを示している。健康堅実なエリート階級のお坊ちゃんであるテルレスは、ボジェナのいる汚い世界、性愛という闇の領域、数学の授業で出てきた無限や虚数という不可解な深淵、そういうものに、怖がりつつも惹かれる時期である。それらを超自然の神秘だといって滔々と語るバイネベルクとは、彼はどうしても相容れない。テルレスの混乱は、彼自身の中にある影の部分に発しているのだから。

 「ぼくが数学に苦しむのは、その背後に、君[バイネベルク]とはまったくちがうものを求めているからなんだ。超自然のものじゃなく、自然なものを求めてるんだ――(…)ぼくのなかに求めてるんだ。」

 彼自身もバジーニと幾度か性的関係をもった。小休日で二人だけ残ったとき、屋根裏でいじめ被害について自白させるが、なぜだかバジーニはテルレスを好いてしまい、自ら裸でベッドにもぐりこんでくるのである。
 同時代の他の学校小説のナイーヴな主人公、たとえば『車輪の下』のハンスや、『ブッデンブローク』のハンノが、なんだかんだで死ぬのと比べると、本作は描写はショッキングであるが、結末は和解的である。暴力や性を身近に感じた体験は、彼の繊細な苦悩する感情にとってはショックの大きい事件であったが、こういう一時の「混乱」を経てこそ、より健康堅実な生の流れへと立ち返っていくことが可能になるのだ、とテルレスは回想する。

 「そういう少量の毒って、必要ですね。魂から、安全で穏やかすぎる健康を奪ってやり、そのかわり、もっと繊細で、とぎすまされていて、知的な健康を、魂にあたえてやるためには。」