独文独歩 40

 『ニーベルンゲンの歌』
 プリュンヒルトのジーフリートへの恋心について

 1.序

 「ニーベルンゲンの歌」前編の中心部分をなし、最も読者の興味をそそる人物は、女王プリュンヒルトであろう。求婚する男たちと武芸で戦って負けることのなかったプリュンヒルトは、ジーフリートの策によってついに屈服し、グンテルの妻となる。彼女の内にある「男性性」と「女性性」の奇妙でフィクション的な混合は、特異なものである。
 北欧の伝承においては、プリュンヒルトとジーフリートは、一度は恋仲になったが、ジーフリートが薬を飲まされて彼女のことを忘れる、という設定になっている。しかし「ニーベルンゲンの歌」においてはそのような事件、すなわち二人がかつて恋仲であったことや、薬で記憶を失ったといった事件については言及されず、両者ともお互いのことをかなりよく覚えていることが幾度も描かれるが、二人の間に親密な会話が交わされることはなく、かなり不自然な距離感が感じられる。たしかに、ジーフリートはクリームヒルトに心を奪われており、ただクリームヒルトを得るためだけに(388) プリュンヒルトと二度にわたって影武者として戦うのであって、プリュンヒルトと会話する必要はないといえる。またプリュンヒルトの側も、ジーフリートはグンテルの臣下である、という偽りに騙されているから、身分差のゆえに彼とは親しくしなかったのだ、とも考えられる。しかし、以上のような解釈でも説明しきれないほどの「よそよそしさ」が、特にプリュンヒルトの側にはある。
 本論の主張は、二人の関係のこの不自然さの原因が、ジーフリートへのプリュンヒルトの恋心である、というものである。そのことは「ニーベルンゲンの歌」本編だけに注目すると突飛に感じられるかもしれないが、物語の先行する形である「シグルズの歌」「グズルーンの歌」「シグルズの短い歌」の端々からは明確に読み取ることができ、ひるがえって本編を読みなおすと、十分にその痕跡をとどめており、抹消されたわけではなく、必ずしも突飛な解釈ではないことがわかる。すなわち要点を言えば、まず二人のかつての恋愛関係については、描かれていないが、暗黙の前提としてほのめかされている。次に、クリームヒルトが「臣下」であるジーフリートと結婚するのが「可哀想だ」と言ってプリュンヒルトがしつこくグンテルに問い質し、初夜の契りを渋りまでするのは、彼女が意識していないクリームヒルトへの嫉妬と、ジーフリートへの恋心のゆえである。最後に、「ニーベルンゲンの歌」の作者は、そのようにプリュンヒルトの心理に分け入るような深読みを聴き手にも許すように、あえて意味深な不可解さを残した形でプリュンヒルトを造型したのだ、という主張である。

 2.二人がお互いをよく知っていることについて

 ジーフリートは、プリュンヒルトのいる土地への航路を知っており(378)、さらには立派な衣装を着ていくべきこと、彼女の宮廷においては武器を捨てねばいけないというしきたり(407)に至るまでを、よく心得ているし、大勢の美女の中からプリュンヒルトの顔を見分けることもできる(393)。C写本の336詩節においては、プリュンヒルトを倒せると息巻くグンテルに向かってジーフリートは、あなたは彼女の力を知らないからそんなことが言えるのだ、と、まるで自分はプリュンヒルトの力を思い知ったことがあるかのように諌める。
 プリュンヒルトは一行の四人のうちジーフリートのことだけを知っており、彼こそが求婚に来たのだと勘違いする。台詞は「ジーフリートが私の愛を求めてきたのならば、あの人の命にかかわることだ。彼を恐れはしないから、私は彼の妻になることはありはしない」(416)となっており、ジーフリートと結婚したいとは思っていないことが明言される。一行が到着すると、ジーフリートに最初に挨拶をするが、彼は丁重に引き下がり、主君はグンテルだと言う。対するプリュンヒルトは「この方が主君なら、競技はこの方といたしましょう」と言う(423)。「この方」と三人称で呼んでいることから、ここでは彼女は(グンテルではなく)ジーフリートに話していることがわかる。初対面であるグンテルと彼女が話し合っている場面は見られない。
 なぜ二人は互いを知っているのだろうか? ジーフリートが一度は求婚の試合に来たが結婚はしなかった、という可能性はない。なぜなら、試合に敗れた者は全員首をはねられることになっているからである。いっぽう、ジーフリートは試合に一度勝っており、彼女と結婚したが、そのことを忘れている、という北欧伝説の設定を適用するならば、この再会においてはプリュンヒルトの側も結婚の事実を忘れていなければならない。またプリュンヒルトは本編のこの時点では処女であると明言されている。よって、試合を通じた結婚はなかったものと考えるべきである。試合を通じない形での、しかも性交までには至らない、愛情の関係が二人にあったことは想定できるかもしれない。少なくとも現在は、ジーフリートはクリームヒルトのことしか頭になく、プリュンヒルトは上の台詞にあるように、ジーフリートへの愛情は自分は持っていないと考えている。しかし二人は何らかの理由で知り合っている。そして二人は屈強な美男と美しく強い女王であるがゆえに、現在はともかく、過去において何らかの愛情関係があったと想定するほうが自然であり、少なくとも聴者・読者たちはそのような邪推を働かせることができる。

 3.プリュンヒルトの言動の不自然な点

 プリュンヒルトがジーフリートをグンテルの臣下であると騙されて信じ込んでいることは間違いない。そしてその信じ込みが、彼女に疑念を呼び起こすことになる。しかしまさにその疑念の起こし方と、それにともなう発言とが、プリュンヒルトの最も不自然な点であり、読者にも彼女の本当の気持ちについて疑念を起こさせることになるのだ。
 プリュンヒルトとグンテルの婚礼と、ジーフリートとクリームヒルトの婚礼は、同時に行われる。そこでプリュンヒルトは、悔しいといって泣きはじめる。(618)その理由として彼女が挙げるのは、「妹君(=クリームヒルト)のことが可哀想だ」、すなわち「臣下である」ジーフリートの妻になるということは、彼女の身を落とすことであり、そのことを思うと彼女が可哀想で仕方がないから、ということである。それゆえに彼女はグンテルに二人の結婚の理由をしつこく訊き、納得するまでは彼と契りを結ぶことを断る(618-624)。
 この言動のなにが不自然かといえば、彼女が前から知っているジーフリートへの言及があまりにも少なく、この日に初めて会ったばかりのクリームヒルトのためにかえって、唐突に同情の涙を流しているということである。プリュンヒルトとクリームヒルトの二人は初対面同士、儀礼にのっとって口づけを交わす(587-589)が、特別にプリュンヒルトがクリームヒルトのことを気に入ったというような描写はなく、せいぜい「二人の間にまだ敵意はなかった」(626)というほどの消極的な記述があるばかりである。クリームヒルトのために涙を流すほどの感情的なつながりは誰にも読み取れない。しかしまたクリームヒルトが、夫グンテルの妹だという理由で涙を流したとも思えない。なぜなら、プリュンヒルトはグンテルを縛り上げたりはするが、愛情は一度も示していないし、そもそも「理由を聞くまではあなたとは寝ない」という交渉の仕方は、愛する男への態度とは到底言えまい。だとすると、彼女は誰のために泣いたのだろうか?
 結婚から十年がたち、第十二歌章の最初で、プリュンヒルトはジーフリートとクリームヒルトを「主君である」グンテルの国に伺候させるようにグンテルに頼み込む。その理由は、なぜクリームヒルトは臣下の妻であるのに気位が高いのか、そしてジーフリートはなぜ長らく伺候してこないのか、それが面白くない、ということである(724-725)。つまり、長年にわたり未だ解けていない、ジーフリートの身分への疑念が、伺候を頼み込む直接の理由である。しかし彼女はグンテルに頼むときには、「妹君クリームヒルトとの思い出がなつかしい」(729-730)という、まったく別の理由を挙げるのだ。後には戻ってきた使者に「クリームヒルトは訪れてくるでしょうか?」(771)と確認したり、「もともとあの方が好きなのです」(783)と言ったりして、いかにもクリームヒルトにだけ会いたいのであって、ジーフリートには全く興味がないと言わんばかりである。読者はやはりここでも不審の念を抱くことになる――クリームヒルトの思い出とやらは、別の目的のための口実に使われているだけなのではないかと。

 4.先行する物語におけるプリュンヒルトのジーフリートへの恋心

 ホイッスラーの発展段階説によれば、プリュンヒルトの伝説が「ニーベルンゲンの歌」の形になる前に、その原型となる5・6世紀の伝説があったとされる。そこでは求婚の試練は「炎の壁を越える」ことである。そしてプリュンヒルトは、その炎の試練に打ち勝つ者は、ただ一人、竜を殺したジーフリート以外にいないと思っていたのだという。このことは、もしジーフリート自身が求婚してきたら、彼女はよろこんで同意したであろう、という意味になる。実際にはジーフリートはグンテルの姿で炎の壁を越え、彼女に求婚したため、彼女はグンテルがそれらを行ったのだと思い込み、ゆえに結婚を渋ることになる。また、ジーフリートが謀殺されたあとで、プリュンヒルトはジーフリートが自分に触れなかったことを誓って彼の無実を示し、夫のグンテルを責め、剣を自分の脇腹に突き刺して自害する。これはジーフリートの後を追うようにして死んだということになる。 (石川栄作「『ニーベルンゲンの歌』―構成と内容―」1992、郁文堂、p.59-64)
 北欧に伝わる伝説は、上述の原型に近いものを伝えていると言われている。検討してみよう。 「シグルズの歌」断片においては、ヘグニが言うには、ブリュンヒルドは「グズルーン(=クリームヒルト)に自分よりしあわせな結婚をさせたくないのです」(p.149)ということである。また、「グズルーンの歌Ⅰ」においては、「ブリュンヒルドはシグルズ(=ジーフリート)亡きあと、生きたいとは思わなかった。八人の奴隷と五人の侍女を殺させた。それから、(…)自ら刃に伏して死んだ」(p.154)とあり、ジーフリートを恋偲んでの後追い自殺であることは明確になっている。「シグルズの短い歌」においては、「かなうことだったら、シグルスこそプリュンヒルドを娶るところだったのだ」(p.154)という一節がある。これはジーフリートにも彼女を憎からず思う心があったという意味であろうか、それとも、プリュンヒルトにとっての「かなうことだったら」という意味であろうか。また、プリュンヒルトははっきりと、「若武者ジグルスをこの腕に抱きたい。それができなければ、いっそ死んでしまいたい」(p.155)と独り言を言い、その後で自分がグンナル(=グンテル)の妻であり、シグルズもグズルーンの夫である、という現実を思い起こして、道ならぬ恋に悶々とする。ここまで彼女の恋心がはっきりと明かされている文献は他にはない。さらに、彼女はシグルズと婚約したことがあることが明かされ(p.157)、彼以外を愛したことなどないと告白するのである(p.158)。(この段落のページ数は、谷口幸男訳「エッダ―古代北欧歌謡集」、1973、新潮社 のページ数を示す。)

 5.『ニーベルンゲンの歌』本編からプリュンヒルトの恋心は読み取り得るか

 前節で検討した通り、北欧神話に伝わるプリュンヒルト伝説においては、露わな形で彼女の恋心が明らかにされ、その心の葛藤が主題ともなっているのであるが、その後の12世紀の改変で、クリームヒルトが後編の主人公として存在感を増していくと、プリュンヒルトの恋は背景に退いてしまった。すなわち、クリームヒルトが夫ジーフリートを殺されたことに対する復讐を行うという別の物語が主題になるのである。しかし、先に検討したプリュンヒルトの言動の不自然さ、ジーフリートへのあまりに少ない言及と、それを埋め合わせるようなクリームヒルトへの過剰な言及、そこから彼女の恋心を読み取ることは、十分に可能である。そして『ニーベルンゲンの歌』の独自性は、その恋心が彼女自身にも意識されていず、むしろ彼女自身はジーフリートに敵意を抱いているように見えることである。そこにきわめて複雑な心情、「臣下」の男への愛憎半ばする微妙な感情の機微が、見出されることになる。
 プリュンヒルトは寝床でジーフリートに組み伏せられ、それからグンテルに愛されるのだが、プリュンヒルトは組み伏せたのも愛したのもグンテルの行ったことだと思っている。そしてグンテルに愛された後、「その夜の明けるまで、どんなに優しく、眷恋の情を讃えて彼のそばに寝ていたことであろう」(683)とあるように、はじめて男への愛を知るのである。彼女は自分ではそれをグンテルへの愛情であると思っている。
 十年後に彼女が、ジーフリートをグンテルの国に伺候させて、彼と食卓で対面したとき、彼女はジーフリートを、臣下として彼にまさるものはないものと思い、愛着を覚えている(803)。この詩節はほとんど唐突に、唯一ジーフリートへの好感情が描かれている箇所である。しかしそれはあくまで「臣下として」永らえさせたいという思いであり、恋心ではないとされている。
 「あなたの処女を手に入れたのは兄上ではなく、ジーフリートだ」(840)とクリームヒルトに言われたときのショックは、果たして「臣下」に処女を奪われた、という、名誉や体面を汚されたことへのショックだっただろうか。もちろん彼女自身はそう言うのであるし、「ジーフリートがそんなことを言うなら生かしてはおけない」(845)、というように、憎しみだけを抱いているようでもある。しかし内心は、より複雑であったかもしれない。
 結局、プリュンヒルトのジーフリートへの恋心は、仮にあるとしても、本人にすら最後まで意識されないのであって、彼女のセリフを穿って読まない限り、彼女の無意識をのぞきこむことはできない。歌の形式は、近代小説のように、人物の「内面」描写に力を注ぐことはない。しかしそのように穿って読む余地を残していること、ある種の心理小説としてプリュンヒルトの物語を読めるということこそ、評価されるべきであるし、その読みは偶然に基づくものではないように思われるのだ。
 また、彼女の葛藤は、彼女が男性よりも強靭な力を持っていること、そしてその力を越える男に対してだけ初めて女性となることができる、という自分の中での論理を持っていることに根ざしている。すなわち、彼女が「男まさり」であることが大きく関係しているのだ。この点に注目すれば、さらなる心理的観点からプリュンヒルトの人間像を解釈することができるかもしれない。

 カッコ内の数字はB写本の詩節数である。なお、本編の引用・要約は岩波文庫『ニーベルンゲンの歌』前編(相良守峯訳、B写本)と、ちくま文庫『ニーベルンゲンの歌』前編(石川栄作訳、C写本)を使用した。