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独文独歩 49

 ムージル
 『特性のない男』

 Robert Musil, 1880-1942
 Der Mann ohne Eigenschaften, 1930-43

 抜き書きとメモ(3)

 見物席に座って観戦しながら、他人に努力させる――これがスポーツである。

 外見に注意を払いすぎる女は比較的貞節である。手段が目的を追い出してとって代わるからだ。スポーツのチャンピオンが性的不能であることが多いのも同じ理由である。

 カカニアではまったく何も起こらなかった。昔なら、これこそ古い慎み深い文化なのだと考えたことだろうが、今ではそれが不安の種になっていた。

 かれらは二千年に及ぶ利他主義的な教育の結果、まったく自分のことを考えなくなっていたので、私か相手かどちらかが苦しまなければならない場合でも、いつもそれを相手に譲るのだった。

 監禁された犯罪人は、壁に打ちこまれた釘のように、もう誰もその存在に気づかない。

 法則がなければ、屋根から落ちることすらできない。

 直観をもつということは、自分の行為に対して理性で充分に責任をとることのできないものたちの間で、当時流行していた。

 「私は献身する」。述語は主語なしに存在しえない以上、いわば文法的に利己主義のかすかな陰りはどんな行為にも残るものだ。

 Zweck, Zielという名詞は、元来射手や猟師の用語である。それゆえ、目標や目的がないということは、殺害者でないということと同じではなかろうか?

 ハンスとゲルダは、ほかの若い恋人たちが目標とみなしている相互所有を、彼らの嫌悪の的である精神的資本主義の始まりと見なし、そして肉体の情熱を軽蔑していると信じていたが、また思慮分別のある態度も軽蔑していて、これは市民的理想で、うさん臭いものだと見なしていた。こうして、非肉体的あるいは半肉体的な絡み合いが生じた。
 「子供の接吻のように味気なく、老人の愛撫のように際限のないこの中途半端な抱擁」

 長い無益な説得のあとの暴力の明解性が、救済である。

 魚は魚を動かしているものの中で動いていた。それは、人間が夢の中か母胎の中でしか体験できない状態だった。

 デモ行進は、頭よりも筋肉に作用する。

 意識だけでは、この世のうごめくもの、ちらちら見え隠れするものに秩序を与えることはできない。意識は鋭くなれば、少なくとも一時的に、世界は際限がなくなるからだ。ところが自意識は舞台監督のように登場して、それを人工的にまとめあげ、幸福なものに仕上げるのである。

 幸福の大前提は、矛盾を解決することではなく、矛盾を消して見えなくさせることである。

 人生の圧倒的多様性を、一次元の順序に写すことが、人生物語の秩序を作りだす。これは不朽の叙事的技巧であり、「悟性による透視画法的短縮」である。

 振動の激しさにくらべれば、その音の美醜は問題にならない荒々しい音楽のように

 健康体には、本来的に非寛容なところがある。

 まるで太陽を見詰めるように相手を見詰める恋人たちがいる。彼らは簡単に失明してしまう。あるいはまた、恋人により人生が明るく照らされて、初めて驚いて人生を見詰める恋人たちがいる。

 禁欲者はなぜ絶食したりするのだろう、それはただ妨げとなる妄想を禁欲者にちらつかせるばかりではなかろうか?! 知性にかなった禁欲とは、たえずよい滋養をとることで食事を軽蔑することにある。このような禁欲なら長続きもするし、情熱的な食事の拒否で精神が肉体に結びつけられているときには精神がもたないあの自由を、このような禁欲は精神に与えてくれる。
 Warum sollte also gerade ein Asket hungern; das bringt ihn nur auf störende Einbildungen?! Eine vernünftige Askese besteht in der Abneigung gegen das Essen bei ständig gut unterhaltender Ernährung! Eine solche Askese verspricht Dauer und erlaubt dem Geist jene Freiheit, die er nicht hat, wenn er in leidenschaftlicher Auflehnung vom Körper abhängig ist! (S.758-9)

 善人は世界をちっとも善くはしない。善人はまるで世界に影響を与えはしない。善人はただ世界から離れる。

 「休日の気分」人間には2つの思考状態がある、ということが人間に吹きこむはずの致命的な恐怖を未然に防ぐために、一方の状態を他方の状態からの休暇、中断、休息とみなす方法をとる。

 人は何もすることがなく、何をしてよいかもわからないときに行動的になる。したいことがはっきりわかっていると、人は陰謀家になる。

 何かが矛盾していても、あなたがその両面を愛するなら、もうそれで矛盾を解消している。

 水を飲むとき、水に映る自分の姿はもう見えなくなってしまう。

 これまで彼が「道徳的」に振舞ったときにはいつも、人が通常「不道徳」と呼んでいる行為をしたり考えたりする場合よりも、より悪い精神状態にあった。これは一般的現象だ。なぜなら環境と対立しようというときには人は誰しも自分の力を発揮するが――自分の責任しか果たさない場合には、税金を支払う場合とまったく同じ態度しか、当然人は取らないからである。悪には情熱があり、善は感情の貧困である。
 「するな!」「せよ!」の命令は、ともに燃えている。しかしそれが道徳となって主権をにぎり、その実行が困難をともなわなくなると、義務は固定され、「善」と「悪」になる。
 麻痺した剥製の道徳のために滅びるか、生気溌剌たる不道徳家のために滅びるか。

 林檎も熟すれば、樹から思いもかけず上昇したりはせず、大地にちゃんと落下する。

 「預言者」マインガスト
 「民主主義とは、「こうもできるが、しかしああもできる」という心理状態を政治的な表現にしたものにすぎない。現代は投票用紙の時代だ。(…)そして、われわれが実証科学をわれわれの知性の理想にしたことは、いわゆる事実なるものがわれわれに代わって選挙するように、事実なるものの手に投票用紙を握らせたことにほかならない。(…)民主主義は――これをもっとも簡潔に言い表わせば――『起こることを、しろ!』ということだ。ついでにいえば、これは人類の歴史始まって以来の、もっとも恥ずべき循環論法の一つだ」

 諸理念の小刻みに揺れている均衡に、衝撃を与えなければならない。「どういう衝撃を与えるかは、ほとんど二の次の問題だ!」

 人間はパンのみにて生きるにあらずにして、魂をも糧にしている。魂とは、いわば人間がよくパンを消化するために必要なものだ。

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